"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 中編 vol.2

(前回のあらすじ)
合併先の部署に一人飛び込み、
初日早々から元の部署との違いにカルチャーショックを受ける。

前回→"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 中編 vol.1 - Sato’s Diary
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「私、いつか文化比較論を書くわ」

自分の出身会社と、合併先の部署との、
あまりの文化の違いにカルチャーショックを受けるたび、
私は隣りに座るK橋さんにそう言った。

のちに転職して全く新しい会社に行った時には、
この時ほどの落差を感じることがなく、拍子抜けするほどだった。
転職後、新天地にあっさり溶け込めたのは、この時に鍛えられたからに違いない。

というわけで、いつか書く、と言っていた文化比較論を
今ここで書いてみようかと思う。

※そろそろ、「合併先の部署」という言葉を使い続けるのも何だかな、
 という感じになってきたので、ここからは、
 ・私の出身会社⇒ソフトウェアの部署
 ・合併先の部署⇒ハードの部署
 と記載することにする。

完全縦型で集団主義 vs フラット型の個人主義

私が元々所属していたソフトウェアの部署は、完全縦型の組織で、
上司のことは、「○○課長」「○○部長」と役職名を付けて呼ぶのはもちろん、
基本的に上司や先輩へのこまめな確認・報告・連絡・相談が必須だった。
それをやらないと、前編に書いたように、上司の雷が落ちたりするところだった。
(私の上司のK部長は、さらにその中で最も保守的な人だった)

対して、ハードの部署の方は、
役職関係なく、何なら社長に対しても、普通に「○○さん」という呼び方をし、
「上司には最後に『こんな旨い話ありまっせ』と持っていくだけでいい」
っていうところだった。
「上司はうまく使うもの」。そういう認識のところだった。

最初、それがわかっておらず、上司にこまめに確認や報告をしていたら、
何かどうも微妙な反応で、ある時、先輩の一人に、
「そんなこまめに確認していたら、
 『こいつは一人じゃ何もできないのか』って思われるよ」
と言われて、びっくりした。


ちなみに私は、
籍はソフトウェアの部署に残したまま、プロジェクトはハードの部署、
という二重所属の状態だったので、
評価面談では、
プロジェクト側の上司(ハードの部署)⇒在籍部署の上司(ソフトの部署)
という順に2人の上司と面談する形だった。

プロジェクト側の上司に評価された評価シートを持って、
所属部署の上司に面談に行くと、その評価シートを読んだ上司が、
「お前は、上を飛び越えて何を勝手なことをやっているんだ」
とギロリと睨んでくるので、本当に困った。


ハードの部署は、
今思い返してみても、本当に雑談の多い部署だった。

雑談の中から仕事の種を見つけたり、
仕事の潤滑油にしていた部分もあったとは思うけれど、
それとは関係ないものの方が遥かに多かったように思う。

「雑談していようが何だろうが、
 最終的に自分で帳尻合わせして成果を上げていればいいんですよ」
と、彼らは言った。

Top of 雑談人間のMさんに捕まると、なかなか仕事に戻れず困った。

周りの人達はどうしているんだろう?と観察してると、
自分が雑談で気分転換したいときには彼の話に付き合いながら、
仕事に戻りたくなったら、そっとうまく雑談から抜ける術のようなものを
身につけているように見えた。

何なら、うまく誰かに話を振って人身御供にして、
自分は会話から抜ける、という手を使ったりもしていた。

「誰かの雑談に引きずられて、自分の仕事に支障をきたすなら、
 それは引きずられる方が悪いんですよ」
と、悪びれることなく、彼らは言った。

そんな超個人主義の職場だった。

評価は"してもらうもの"  vs 評価は"勝ち取りにいくもの"

会社では、前期・後期で評価があり、
期の初めに、評価シートに今期の自分の目標を書いて、
期の終わりに、それを達成できたかどうか等を記入した。

ソフトウェアの部署では、
「こんなの、形式的なものだよね。評価なんて、一緒に仕事していればわかるじゃん」
という感じで、誰もそんなに真面目に書かず、
シートの空欄をとりあえず埋める感じだった。
上司もそれほど真剣に読まず、彼らの中で既に決まっている評価結果を
記入する感じだった。

対して、ハードの部署では、
「ここでアピールせずして、どうする!」
とばかりに、みんなガツガツと評価シートに自分の成果を書いていた。

私は元々、成果評価にあまり興味がなく、
「他人からの評価なんて、別にどうでもいい。自分が自分をどう評価するかが大事」
という人間だったので、当初は内省的な内容の評価シートを書いて提出していた。

だけど、そんな私に課長のK松さんが、
「Satoさんは、とても意義あることをやっているんだから、
 もっとアピールしなちゃ! たとえば、ああいうこととか、こういうこととか…」
と、親切にぐいぐい推してきて、他の人からも
「評価シートを持って、K松さんは幹部会議で部下の評価を勝ち取りに行くんだから、
 ちゃんと武器を渡さなきゃ」
と言われるうちに、
(そうか、私がきちんと書かないと、私がやるべき仕事をK松さんに
 させてしまうことになるんだな…)
と思うようになり、真面目に取り組むようになった。

じゃあ、評価シートに何を目標や成果として書くか、というと、

「目の前の仕事をどうやって完遂するか」
vs 「自分の仕事が、会社にとってどういう価値があるのか」

ソフトウェアの部署では、
「目の前の仕事をどうやって完遂するか。それに対してどう貢献したか」
が主な記述内容だったのに対して、ハードの部署では、
「自分のやったことが、どれだけ会社の将来に貢献するかorしたか」
だった。

仕事を親会社から振られることが前提にあった子会社の社員と、
大きな親会社の中を泳ぎながら仕事を獲得してきた社員、
という背景の違いからくるところが大きいのだと思う。


「自分のやっていることが、会社にとってどういう意義や価値があるのか」
これまで、そんなスコープで自分の仕事を捉えて言語化してくることのなかった私は、
最初はなかなか苦戦したが、
やがて普段からそういう視点で物事を見ていくようになり、
この部署にいた3年の間に、
私は一気に自分の視座を上げる訓練をさせてもらったな、と思う。

今、そこを超えて、会社の枠すら超えたスコープで考えるようになったのは、
この時に階段を駆け上がったからこそだろう。


 * * *


私にとって、どちらの文化の方が性に合っていたかというと、
間違いなく、ハードの部署の方だった。

私のこの部署での仕事のミッションがやがて、
「この部署の業務を整えて、組織としての成果を上げられるようにすること」
になった時に、
彼らの個人主義的過ぎるところに振り回され、悩まされるのだけど、
それでもなお、私はこの自律的で自由な風土が大好きだった。

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個人主義の職場ではあったけれど、
私が眉間に皺を寄せている時には、
誰かしら愚痴を聞いてくれたり、笑わせてくれたりした。

もしかしたら、それすらも、
何らかの自分の成果として、
彼らは評価シートでアピールしていたのかもしれないけど。
そうだったとしても、全く驚きはしない。

彼らのドライで軽やかな優しさが
私は心地良かった。


だけど、やりたいことは、やっぱりソフトウェア開発だった。

だから私は、決めたのだ。

壁をぶっ壊して、この風土を、空気を、
ソフトウェアの部署に流し込もう、
と。


「壁なんてないでしょ。みんな同じ会社の社員でしょ」

私が組織間の壁問題を口にすると、
K橋さんやMさんはそう言った。

でも、壁はあるのだ。
あなた達の視界に入っていないだけで、
この会社の一角に、壁はやっぱりあるのだ。

(つづく)

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