サル山で働いてます。AI執事を相棒に

3ヶ月限定の仕事を請けて、4月下旬から毎日通勤電車に揺られながら仕事してる。

オフラインで集まって複数人と一緒にやる形態の仕事――いわゆる会社員ちっくな仕事をやるのは2年ぶりなんだけど、
「そうそう、会社の仕事ってこういう感じだった!」
と懐かしさを感じている。主に、
"仕事の本質と関係のない不毛なことにエネルギーを吸い取られる"
というところに(笑)

今の私にはAIという心強い相棒がいるので、
仕事でストレスを感じることがあったら即AIに相談して、状況や感情を整理している。
怒り心頭に達することのあった日は、
家にモヤモヤを連れ帰るまい、と、帰り道にカフェに立ち寄って、気持ちが落ち着くまで、ひたすらChatGPTに吐き出してる。
おかげで、軽度なうちにストレスの対処や原因への対策が取れて、
自分自身の感じるストレスに、思わず懐かしさを感じて笑っちゃえるくらいの余裕はあるので、
まぁ3ヶ月は乗り切れるだろう。


私のChatGPTとの会話というのは、ただの愚痴の吐き出しでは収まらず、
起きたことやその背景、各人の行動や言動をChatGPTと共に整理しながら、
「Aさんは、どのような行動原理の人なのか?」
「こういう行動原理のAさんと、こういう行動原理のBさんが、こういう状況下に置かれるとどうなるか?」
といったことを、つぶさに分析していく。

「現在のストレスに対処するために、自分はどのような対応や行動をするのが望ましいか?」
の方針決定をするために分析しているだけなんだけど、
気が付いたら、関係者各位の分析プロファイルみたいなものが出来上がってしまっている。

ChatGPTを日々のストレスの相談相手にしていることとか、
私自身が人の行動原理を分析するタイプなことは、
一緒に働いている人たちの何人かには、ちゃんと雑談ついでに共有してるけど、
まさかこんな自分たちの行動原理分析プロファイルが出来上がっているとは、当人たちは思ってないだろうなー。

そうこうしてChatGPTに溜まってきた、
関係各位の行動原理分析プロファイルを並べて眺めてると、
なんというか『サル山の観察日記』みたいな感じがしてくる。

あのサルが、お山に昇ってるなー、とか、
あのサルが、ちょっといじめられてるなー…あ、反撃に出た、とか、
あっちでは、あのサルが他のサルたちの気を引こうとしてるなーとか。

そうして、そんなサルたちの様子をサル山エリアの隅っこで眺めながら、
どうすっかなーと、ぼーっと佇んでいるSatoサル。


日々、仮説検証を繰り返しながら、つど軌道修正しつつ事業を一歩ずつ進めている私は、
新しい仕事を請けたり始めたりする時には、
大体、いくつかの仮説を立てて臨んでいる。

今回の仕事を請ける際に立てた仮説のひとつは
「明確な目的や目標のある期間限定のプロジェクトならば、場の力学ではなく目的にフォーカスした行動を各人が取って、誰か特定の人に甘えたり寄りかかる構造にはならないのではないか?」
というものだった。

しかし、実際に蓋を開けてみれば、
プロたちが、ほぼ同時に関係構築ゼロ地点からスタートしたにも関わらず、
懐かしの「仕事の本質と関係のない不毛なことにエネルギーを吸い取られる」事態の発生。

これ、なんで?
とChatGPT(論理屋執事のジムくん)に聞いてみたら、ほぉぉぉという答えが返ってきた。

ジムくん(ChatGPT)の回答

回答を要約すると、



1. 目的は“共有されただけ”で、“内在化されていない”
PJの目的が掲げられていても、多くの人にとっては、「言われたから来てる」「仕事だからやってる」 というスタンスであり、“達成のための責任構造”としては機能していない。
結果、「目的」よりも「周囲との居心地」「感情の処理」の方が動機として勝ってしまう。

2. “初対面”=“関係のゼロ地点”ではなく、“不安の出発点”
「この場での自分のポジションをどう確保するか」が最初の課題。
結果、マウンティングして主導権を確保しようとする人、共感ネットワークを作って守られようとする人など、“目的”ではなく“立ち位置不安の解消”が先に来る

3. 明確な“目的”があっても、それを果たすための“構造的責任関係”が設計されていない
PJの目的が明確だったとしても、
誰が設計責任を持つのか? 誰が方針を定義するのか? 誰が軌道修正を図るのか?
といった「目的を達成するための責任設計図」が曖昧なまま進行している場合、人は“その場の空気”に流れ始める。

🎯結論:猿山が発生するのは、「構造責任の回路」が弱いから
猿山構造とは、“目的を押し流す関係性テンション”のこと。
そして、PJにおいて構造的な責任配置や情報共有が甘ければ甘いほど、 “目的への集中力”より“感情の安定”が優先されるようになる。
「目的がある」は必要条件であって、十分条件ではない。


こんな感じ。

「次の仮説を立てるなら、『目的に向かう行動が担保されるのは、責任と裁量が明確に構造化されている時である』という新しい構造仮説を持っておくといいですよ」
なんてアドバイスまで最後に添えてくれた。

ジムくんからの仮説についてのアドバイス

この回答、いちいち納得だった。
確かに、今携わっているプロジェクトは、プロジェクトの根本的な設計部分にツッコミどころ満載で、
「それによって生じる隙間を埋めることを、人のやる気や善意、プロフェッショナルであるところに求めるのは違うんじゃない?」
と思うところがあった。

このChatGPTの回答の興味深いところは、
私がこれまでChatGPTにしてきた相談内容は、プロジェクト関係者個々人の振る舞いにフォーカスしたもので、プロジェクトの設計に関する問題にはさして言及してこなかったにもかかわらず、
「個々人のこうしたサル山的な振る舞いがなぜ起こるのか?」
を聞いたら、
「責任と裁量の設計が明確化されていないからだよ」って返ってきたところ。

えぇぇぇ、なんで「責任と裁量の設計が明確化されていない」ことがわかったの!?

って、驚いて聞き返したら、
「あなたが語ったのは、『人の行動』だけど、
  その行動が、抑止されず・補正されず・むしろ横行している状況は、
 『その場に“構造責任の回路”がない』ことを間接的に示している」
とのお答え。

因果関係から根本原因を導くジムくん

なるほどなぁ、と感服しきり。
たぶん、こういったことは、行動心理学とか組織論だとかの学者さんには既知の体系化された論理なんだろう。


AIに人間関係のあれやらこれやらを相談した時、最後に、
「ここまで話した内容についてまとめられた研究って何かある?」
と尋ねてみれば、「はいはい、ありますよ」と複数の研究やら学術名やらを、だーっと列挙してくれる。
笑っちゃうくらい、どんなお悩みにも既知の学術ラベルを貼ってもらえる。

人間関係の悩みなんて、古今東西さして変わらず、
それらについて分析して、その問題の起こる背景や、その問題に直面した際の適した対処方法なんていうのは、これまでの歴史の中でたくさんの人たちが研究しつくしてくれているのだ。

だけど、たぶん今までは、学問と日常の間に距離があって、
サル山の外からサルたちを観察・分析している第三者と、サル山の中でキーキーやっているおサルたちのような関係だったから、
せっかくの知見がなかなかうまく活用されなかったのだろう。

AIを触っていて実感するのは、
そういう今まで離れた場所にあった専門知を日常と繋げられるようになるということ。
AIの得意分野のひとつは翻訳だ。
遠い場所にある論文の中に記された難しい専門用語や事例を、
自分の日常や目の前のお悩みの文脈に沿った形で翻訳してくれるということ。

かつて、学者たちが一生かけて記してくれた知恵を、今日の私たちが、
AIを相棒に自分たちの日々に活かしていくのも、AI時代の素敵な在り方のひとつだろうな、と考えている。


そんなわけで、「知の翻訳家」としてのAIを相棒に、
Satoサルは今日もサル山の隅っこから、おサルたちを観察しながら、
どうすっかなーと行動計画を練っております。