"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 後編 vol.13

(主な登場人物)

  • 私…ハード部署の保守センターの業務を整えようとしている。籍はソフトウェア部署。
  • Yさん…初代センター長。私をセンターに入れた人。
  • H野さん…2代目センター長。私の仕事が理解できない人。
  • K松さん…センターの実務をこなす課長。ただでさえ多忙なのに、仲の悪い上の人達の間に挟まれて、さらに大変な人。
  • Aさん…新しくセンターにやってきた部長。私に対して、やらかしてしまった人。
  • K部長…ソフトウェア部署側の上司。基本的に年に4回の成果面談でだけ会話する人。

(前回のあらすじ)
K部長に怒鳴られながらも、私は新人研修の仕事と並行しながら、センターの仕事を粘って続ける。

前回→"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 後編 vol.12 - Sato’s Diary
全話リストはコチラ



2013年4月下旬。
『一度出てみるのも、一つの手』
K部長のことは大嫌いだけど、確かにその言葉には一理あったなぁ…と
思いつつ、さてこれからどうしよう、と
新人研修の合間に私は考える。

とりあえず何とかAさんに仕事は引き継ぐとして、
その先、自分はどうするか。

新人研修は7月末までだから、
K部長が次の私の仕事を見つけてくるまで、まだ時間があるはずだ。
それまでの間に、自分の道を決めておきたい。


もういい加減に、
K部長の元からは離れた方がいいだろう。

AさんやH野さんに懐疑的でありながら、2人の言葉を信じたのは、
私に対する先入観ゆえだろう。
きちんと事実を確認することなく、2人の言葉を信じ切って
私を叱責した行為は上司失格だろう。

元々、私がES活動を行っていることにも、良い顔をせず、
何度、K松さんからA評価をもらっている評価シートを持って行っても、
就業制限のあることや、
人事部の研修仕事は大した評価にならないから、と
B評価にされ続けた。

それでも、センターの仕事のいまいち奮っていなかった
前回までの評価は、
K松さんの厚意で付けてもらっているA評価の感覚が
私自身にも少しあったので、モヤモヤしつつも、強くは食い下がらなかった。

だが、先日の直近の評価では、
体調も戻って就業制限もなくなり、
ES活動では全社員の認める成果を挙げ、
Aさんに罵声を浴びせられる日々を乗り越えて、ついにセンターでも
一定の成果を出した。
私自身にとっても、迷うことのない堂々のA評価のシートだった。

だけど。

「今回は揉めたからBね」
K部長は、その一言で片づけた。

『揉めた』
Aさんに関する一連のことは、私の責任なのか?
自分の仕事を全うするために揉めることは、減点ポイントなのか?


K部長と私は、本当に相性の悪い上司と部下だった。

それでも、お気に入りの部下だけを手元に残して、
気に食わない部下のことはとっとと外に出すK部長が
明らかに相性の悪い私のことを自分の元から出そうとしないのは、
「気に食わないなりにも、きっとどこか認めてくれているんだろう。
 ES活動についても、何のかんの言いながら、
 ”コイツ経由で色々情報を得られて、便利だな”
 くらいには思ってくれてるんだろう」
そう思っていた。

だけどこの面談の時、ただ一言でB評価と片付けられ、そして、
「お前、そろそろいい加減にES活動を辞めろ。悪目立ちしているぞ。
 俺はお前のために言ってるんだ」
と言われた時、
(あぁ、違ったのだな)
私は理解した。


この頃の私は、人づてにK部長の現在の状況を聞いていた。

気に食わない部下を外に出し、
病気や育児で就業制限のかかっている部下を全員外に出し、
お気に入りの部下だけが手元に残った結果、
彼は、部下の成果評価を決める幹部会議で、
「俺の直属の部下は全員Aで」
とのたまって、他の幹部社員から
「んなわけ行くか!」
と総ツッコミを受けて困った状態になっているのだという。

そんな彼にとって、
私は都合の良いB評価要員だったのだ。
何かと難癖をつけやすく、
自分のプロジェクトの要員でもない私は、
彼にとって、ただの都合の良い、貴重なB評価要員だったのだ。

この時それをようやく理解した。

 * * *

K部長は、ある意味とても素直な人で、
Aさんのように人を陥れることに頭を使うタイプではなかった。
だから、何のかんので、私に異動の件の真相も教えてくれたのだ。

『困った部下や上司や客に色々苦労させられて大変な俺。
 でも優秀で部下想いな俺』
という自己像をなぜか抱いているように私からは見えた彼は、
明らかに彼の手落ちであることを、
それとなく指摘するだけで激怒する人だったが、
(だから、Aさんの件では、私に事実確認しなかった点を突かれて、
 機嫌を損ねたのだ)
弱者には優しかった。

昔、彼の部下だった私の同期が貧血で倒れたときには
速攻でお姫様抱っこして休憩室に運び込んでくれたらしく、
「なんか一瞬ときめいた!」
と同期は言っていた。

私自身も、以前、H野さんが人事部のプログラミング研修の仕事を
3たび目、勝手に私に割り当ててきた時には、
「お前、また勝手に俺を飛び越えて仕事を受けやがって!」
と電話口で怒鳴ったK部長だったが、
「違うんですっ、勝手にH野さんが入れてしまって、
 私も困ってるんです…うぅっ」
と、半泣きしながら
『H野さんに困らされている可哀そうな部下』をやってみたら、
一転口調を和らげて、
「なんだ、そうなのか。あいつ勝手なことしやがって…
 よぉしっ、俺がきちんと言ってやるから」
と言ってくれて、実際、彼のお陰で私はその仕事を免れたのだ。

亭主関白な夫を、うまく掌で転がす妻。
みたいに私が出来たなら、もうちょっとはうまくやれたかもしれない。

だけど、K部長に泣きついて人事部の仕事を断ってもらった時、
(弱者を演じれば、嫌な思いをしなくていいかもしれないけど、
 何だか舌が汚れる感じがするな。この手はもう使いたくないな)
そう思ったのだ。

たとえ目的のためであっても、弱者に成り下がることは、
やっぱりできないのだ。

f:id:satoko_szk:20211205140930p:plain

 * * *

私がハードの部署に来て、それなりにそこに馴染んできた頃、
「お前、ここに籍を移すか?」
そう、Yさんが私に尋ねた。

だけど、既に組織間の壁を壊すことを決意していた当時の私は、
「いえ、籍は元のままにしてください」
そう答えた。

私は、壁を壊したいのだ。
壁の反対側に私が移ってくるのではダメなのだ。

ソフトウェア部署に籍を置いていれば、
部署の全体会議や勉強会で、月に数回、
ソフトウェア部署の社員たちと交わる機会がある。

だから、私は、
明らかに自分と相性の悪いことのわかっているK部長の元に、籍を置き続けた。
ソフトウェア部署に、ハード部署の風を送り続けるために。


だけど、もういいだろう。

ソフトウェア部署の空気は、もうだいぶ変わりつつある。
コミュニケーションWGを一緒にやってくれた先輩のO村さんも、この間、
「やっとK部長の元から異動できることになった」
と言っていた。
ソフトウェア部署の中では珍しく、先進的な気風の若手課長のIさんが、
今度部長に昇格するとも聞いた。

K部長ひとりが、超保守的な態度を取っていたところで、
もう大丈夫だろう。


K部長の元にこれ以上いたら、
この先もずっと、不当な評価を受け続けるだけだろう。
そして、ES活動を続けることも難しくなっていくだろう。


(よしっ、異動しよう)

K部長が次の私の仕事を見つけてくる前に、
私が自分の異動先をうまく見つけて、引き抜いてもらえばいいのだ。

そう決めて策を練り始めた私は、
不意に、面白い手を思いつくのだった。

(つづく)


次の話→"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 後編 vol.14 - Sato’s Diary
全話リストはコチラ