"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 終幕 vol.4

(前回のあらすじ)
念願のプロジェクトが保留状態のまま、K部長から離れるために、
私は、会社から切り離されたプロジェクトへ異動する。

前回→"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 終幕 vol.3 - Sato’s Diary
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「最低でも1年はこのプロジェクトにいてほしいんだよね」
A村さんが言った。

A村さんは、
私が、長野のお客さんの仕事の話を保留中で抱えていることなど
もちろん、K部長から聞かされていない。

私も、K部長から逃れるために、
利用させてもらったなどと言えなかった。

K部長から逃れさせてもらった分の働きはしたかった。
長野のプロジェクトが要件定義を終えて開発が始まるとしたら、約3か月後。

(1年分の仕事を、超特急で3ヶ月で終わらせられないだろうか…)

そんなことを思ったりもしたが、
仕事の内容が、ある機能に関する知見を有識者から引き継いで欲しい、
というもので、
単純に仕事を急いで完遂すればいい、という類のものではなかった。

長野の仕事が来たとしても、受けられないかもしれない。
私は内心で焦りと不安を募らせていく。


あれほど、ここにいたい、ここの人達の役に立ちたい、
と頑張っていたセンターでは、
何もわかっていないセンター長のH野さんに
いつ突然に追い出されるか…という不安と、常に戦っていたというのに、
ここにいたくない、と思っているプロジェクトでは
必要とされるという皮肉。

 * * *


A村さんは私がES活動をしていることに嫌な顔はせず、
月に1, 2回、ES関連の打合せで半日本社に行くことを
快く許してくれた。

だけど、ES活動というのは、打合せに出席することよりも、
日々の何気ない社員とのコミュニケーションの方が重要だった。

プロジェクトに来て最初の頃は、
なんとか用事を作っては、夜、本社に戻っていた。

だけど、夜に戻っても人はまばらだし、
それも週に2回が限度だった。

本社に行ってメールをチェックすると、
数日前に送られてきたメールが届いていた。
同僚からの質問メールだった。

本社にいた頃の私は、社内の知り合いから、
問い合わせを受けては、
それに関して私の知っている情報を教えたり、
誰かに繋げたりしていた。

けれど、私が返信に数日かかるようになって、
やがて、会社の私のメールボックスにメールは届かなくなった。

 * * *

私には、Aさんの件での、後遺症のようなものがあった。

仕事のことで、課長のA村さんに聞かないとわからないことがあった時、
最初の頃、しばらく躊躇したのだ。

『お前、忙しいK松さんを、長時間捕まえては泣いて愚痴って
 仕事の邪魔をしているんだってな』
K部長の言葉が蘇ったからだ。

確かに、ストレスを抱えた私がK松さんにヒステリーを起こしたことが
あるのは事実だ。
だけど、K松さんとの話がいつも長時間になっていたのは、
K松さんがほとんど捕まらず、やっと捕まった時に、仕事のことで
確認しなければいけないことがたくさんあったからだ。

(これは、A村さんに確認しなければ進まないことだけれど…
 忙しい課長のA村さんの時間を奪ってしまう行為だろうか?
 私はまた仕事の邪魔をすることになるんだろうか?)

そう思って、小一時間止まった。
K部長の言葉なんて、ただの実情を何もわかっていない人間が
Aさんに吹き込まれた内容を鵜呑みにしただけの言葉だと、
頭ではわかっているけれども、躊躇した。

だけど、どう考えても、確認しないことには仕事が進まないのだから、
確認するしかないだろう。

そうして、ようやく勇気を出して、A村さんに「すみません…」と
声をかけて尋ねると、A村さんは迷惑そうな顔をすることもなく、
普通に答えてくれて、
(そうだよね。普通に聞いていいんだよね…)
と、胸をなでおろす。

まるで、新人さんが抱くような悩みに、
社会人11年目にもなって再び直面しながら、
そんな風に、リハビリをしていった。


プロジェクトの人達は、本当にみんな優しかった。
私がこの後、転職先で最初から普通に働けたのは、
このプロジェクトで、リハビリできたからだ。

だけど、その優しさが、私には苦しかった。

「よく、このプロジェクトに来たね。
 このプロジェクトの人達は、みんな良い人達だよ」
そう言って、私の歓迎会を開いてくれた。

入社以来、10年以上ずっと、この職場にいる社員も多いような職場だった。
みんな仲良さげで、暖かな雰囲気のプロジェクトだった。

だけど、その暖かさが、私には苦しかった。

どうしても、
 ここに馴染みたくない。
 ここに閉じ込められたくない。
 呼吸ができなくなる。
そんな苦しさを感じずにいられなかったから。

優しい人達への後ろめたさを抱え続けながら、
私はプロジェクトの仕事をこなしていた。

 * * *

私がこのプロジェクトへ異動してくる1か月前に、
会社が再び合併することが決まった。

合併先は、同じグループ会社の一つの2000人規模の会社だった。
私たちの会社は400人規模だったので、
合併先の会社に、私たちの会社が1つの事業部として付け足されるような形で、
当面は何も変わらないとのことだった。

けれど、合併先の主事業がソフトウェア事業だったので、
私のいるソフトウェア部署は、遠からず合併先の部署の方に移されるだろう、
という話を、合併時に真っ先に組織統合される間接部門の同僚から聞いていた。

そして合併先の部署の風土は、
元のソフトウェア部署と同じ、旧来型の縦型ピラミッドだという話も
併せて聞いていた。

合併するのは10月だった。

私のいるソフトウェア部署が、合併先の事業部に移される前に、
何としても、ハード部署の人を絡めてソフトウェア開発の仕事をして、
フラットな組織文化の事業部の中に、自分の身を置きたかった。

新たなプロジェクトを抜けられる気配はなかったが、
何とか長野の仕事をそういう形でやりたかった。


9月下旬。
本社に戻った日に、私はT森さんにメールを送った。
仕事の件はどういう状況でしょうか、と。

ほどなくして、返信がきた。

『お待たせしてすみません。ちょうど、昨日、結果が出ました。
 残念ながら、別の会社に提案で負けてしまい、
 今回の仕事はなくなってしまいました』

そう書かれていた。


ふつり。


この時、私の中に辛うじて残っていた灯火のようなものが、
消えた。


本社での用事を終えた私は、常駐先に戻り、
自端末を起動する。
端末の起動が完了したのを確認して、
仕事を始めるために、作業ファイルを開く。

そこで、手が止まる。

――私、なんでここにいるんだっけ?

頑張ってやってきたES活動を通して培った、
人との繋がりも断たれて。

……あぁ、そうか、まだ90周走っていないからだ。

そうだよね、まだ25周くらいだよね。
頑張って、走らなきゃ。

まずは、目の前の仕事をやらないとね。
まだ勝手のわからないプロジェクトの仕事だから、
馬力を出さないと、できないからね。

ネットワークの遮断された職場の実情を経験するのも
大事だよね。
内側からES活動していけば良いんだよね。

新たに合併したところとだって、
またイチから壁を壊していけばいいんだよね。
大丈夫、私にはその知見があるんだから。

そうやって、90周走ればいいんだよね。
笑顔と元気で。
笑ってないと、人は離れていくからね。

だから、頑張らなきゃ。
頑張らなきゃ。頑張らなきゃ。
 ・
 ・
 ・
頑張って、何があったっけ?
頑張った結果、何があったっけ?

Aさんに罵声を浴びせられ続けて、
心がざくりざくりと切り刻まれた日々が蘇る。

それでも頑張った。

今度は、K部長から浴びせられた言葉が蘇る。

それにも負けずに頑張った。

頑張って、頑張った。
だから、願いが叶ったのだと思った。

だけど、その叶ったと思った願いは、すーっと流されて。

そして、
願いを掴もうとしたが故に、
今、身動きのできない場所に来て、
頑張ってやってきたES活動で得たものも失って。

――・・・

目からぼたぼたと涙が流れだした。

隣りの席のLさんが、私の様子に気づいて、ぎょっとするのがわかる。
だけど、流れ落ちる涙は止まらなかった。

もう駄目だった。

(私は、もう頑張りたくない。
 たとえ、「あと1周走れば、君の願いは叶うよ」と言われたとしても、
 もう1周だって走りたくない――)

そう、思った。


 * * *

それからの日々は、
自分の中に残っている何かを見つけ出そうともがきながら、
結局、何も見つからず、
慣れない仕事に、「頑張らなきゃ」と自分を鼓舞して向き合おうとした瞬間に
涙がとめどなく流れだすという、
ただ、その繰り返しだった。

自分の中には、もう何も残っていなかった。
お客さんのため、会社のため、プロジェクトのため、
後輩のため、自分のため、etc..
「~のため」が何かひとつでも、欠片でもあれば、
動けるんじゃないかと思ったけれど、
どれだけ探しても、自分の中には、もう何もなかった。
空っぽの自分だった。

空っぽの自分から目を反らすことで、
なんとか少し笑えるような、そんな日々だった。


その頃、朝、職場に着くと、まず考えたのは、
(今日は、何をすれば仕事をしたことになるかな…)
ということだった。

仕事をしに行っていたのではない。
仕事の振りをしに行っていたのだ。

打合せの時、一緒に仕事をしている親会社の人が、
やる気なげな私にイラつくのがわかった。
そんな彼を見ながら、
(イラつきますよね。その気持ち、よくわかります。
 私だって、こんな奴にはイラつきます)
そう思った。

この時、人生で初めて、自分を惨めだと思った。

体を壊して思うように働けなくなった時にも、
ハードの部署に行って、仕事の内容が全くわからなくて、
議事録をみんなに聞いて回らないと書けなかった時にも、
自分を惨めだなんて思ったことは、一度もなかった。

"それができるはずの自分"を知っていて、
だけど、"それができない自分”だからこそ、惨めなのだ。

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この先、1年経っても、10年経っても、
自分はこのままのような気がした。

(きっと、そのうち、
 『もう、あのSatoさんっていう人、全然働かないんですけど、
  何なんですか!』
 って若手社員たちに言われるようになって、
 『あの人も昔は、すごくやってたんだけどねぇ』
 なんて、人から言われるようになるんだろうな)

まったく頑張ることのできなくなった頭で、
そんなことをぼんやりと思った。


頑張れない自分が苦しかった。

苦しくて、苦しくて、
たくさん、人を恨んだ。憎んだ。

AさんやK部長はもちろん、
何があったか知ろうとしなかったYさん、K松さん。
センターの仕事を犠牲にして、あれだけたくさん仕事を手伝ったのに、
K部長から離れるだけのことにすら力を貸してくれなかった人事部。
私の活動を、いいね、いいね、って言いながら、
私がずっとK部長からB評価を下されていることを
気にも留めない、周りの幹部社員や経営層の人たち。
私がどれだけの目に遭いながら活動していたか知ることもなく、
頑張れ、頑張れ、って応援するばかりで
何も手を差し伸べてくれない、たくさんの人達。
私が笑顔の時には笑顔を返してくれるけど、
泣いたり、怒ったりすれば、いつでも簡単に離れていく人達。

誰かの行動が、たった1つだけでも何か違っていたら、
きっと、結果は全く違っていたのに――。


そんな風に、
ひたすら、人を恨んで憎んだ。
大切だったはずの人たちのことすら、恨んだ。

そして何よりも、いつまでも自分に、
「頑張れ、頑張れ」と言い続けるだけのような
自分の運命みたいなものを呪った。


そんな想いにとらわれていたって、
幸せになれないことなんて、わかっていたけれど、
私は、そこから抜け出すことができなかった―――。


(つづく)


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