"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 終幕 vol.5

(前回のあらすじ)
会社から切り離されたプロジェクトへ異動した私は、
ES活動で培ってきた繋がりも絶え、最後の望みの綱だったプロジェクトの話も潰えて、ついに走れなくなる――。

前回→"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 終幕 vol.4 - Sato’s Diary
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その頃通勤していた勤務地の最寄りの駅前には、
大きな歩道橋があって、
その下を、びゅんびゅんとたくさんの車が走り抜けていた。

毎日の行き帰り、下を走り抜ける車を眺めながら、
そこに吸い込まれそうになる自分を、
(それだけは、私は絶対にしない)
そう言い聞かせながら、
その歩道橋を渡っていたのを覚えている。


そんな風に、重たい体を引きずるように
なんとか出勤していたが、
2013年12月下旬、ついに布団から起き上がれなくなり、会社を休んだ。
翌日も起き上がれなかった。

このままではまずい、なんとかせねば、と、
2日目の夜、何とか布団から這い出して、
親会社の本社の一角にある、グループ会社の社員含めて
受けられるカウンセリングに行った。

私は相談事は基本的に、信頼できて、
かつ状況を理解していて現実的な解決策を提示できる人にする性格なので、
カウンセリングというものには抵抗があった。
だけど、この時の私には、相談に適した相手がおらず、
藁にもすがる思いだったのだ。

「あなた、すごく疲れているわ」
私の話を全て聞いてくれたカウンセラーの先生は、そう言って、
心療内科の受診を勧めた。
安直に薬を処方されるのは嫌いなのだと私が言うと、
「この先生なら、むやみに薬を出さないし、通いやすいと思うから」
と、自宅近くの心療内科を紹介された。

そうして行った、老齢の心療内科の先生は、
ただ穏やかに私の話を聞いてくれて、
「何か仕事以外のことで楽しみを見つけて、
 休日にゆっくり楽しんで過ごしてみたらどうかな?」
そんなアドバイスをくれた。


状況は何も変わらないけれど、
日々を繋ぐように、なんとか出勤した。

もう年の瀬となる週末、部屋の掃除をしながら、
ふと、気分転換に引っ越しをしようかな、と思った。
体調を崩したのも、センターで色々あったのも、
この部屋で暮らしている時だ。
引っ越しして、気を入れ替えるのもいいかもしれない。

(今、引っ越すなら、次は賃貸じゃなく、購入するのでもいいかもな…)

そうしてマンション購入を思い立ち、
不動産屋に行ったり、リフォームすることを決めたり
何やりしていくうちに、
とても楽しくなってきて、私は元気になってきた。

※詳細はコチラ→マンション購入奮闘記 カテゴリーの記事一覧 - Sato’s Diary

(あぁ、こんな風に仕事以外のことに楽しさを見出して、
 そうして日々をやり過ごしていくのも一つかな)

そう思った。

仕事のうまくいかない時期なんて、人生の中でいくらでもあるんだから、
そんな時には、別の何かに楽しみを見出して、やり過ごす。
きっと、他の人たちも、そんな風にして日々を過ごしているはずだ。

元気になった私の様子に、心療内科の先生は、
良かったね、と笑顔で返してくれて、それで卒業となった。


だけど。

マンションの契約も終わり、
リフォームの準備も整い、
あとは、リフォーム業者の方が工事を終えて、
引っ越しできる状態になるのを待つばかりとなった、2月中旬。

気を紛らわせるものがなくなり、
仕事も馬力を出す必要のある内容のものが来て、
何のエネルギーも、想いもない、空っぽの自分を
再び突きつけられた私は、
涙があふれ出したり、人や運命を恨んだりする無限ループに再突入した。

(あぁ、ダメだ。また次の、気を紛らわせられるものを見つけないと…)

そう思うが、
マンション購入に匹敵する、気を紛らわせるものなんて、
そうそうない。

 * * *

唐突に訪れた、その不思議な出来事は、
2月の終わりの、ある午後のことだった。

晴れた日だったと思う。
窓から陽の光が薄く差し込んではいたけれど、
広いオフィスの中程の私の席までは、太陽の光は届かず、
節電対策で間引かれた蛍光灯の明かりが、薄く私のまわりを照らしていた。

PCの画面に向かう私は、いつものように
負の無限ループに陥っているところだった。

その時、私の頭の中に、
こつん、と2文字が落ちてきた。

 転 職

……。
一瞬の間を置いてから、
(あぁ、”転職”か)
自分の頭の中に落ちてきた文字をぼんやりと読みあげた、その瞬間。
頭上から光が降り注いで、
私の周りが、ぱーっと明るくなった。

驚いて、天井を見上げた。
蛍光灯の明かりが全部ついたのかと思ったのだ。
だけど、そこにはいつもと変わらず、
間引かれて薄く光る蛍光灯があるだけだった。

不思議な感覚に戸惑いつつも、天井から視線を戻して、
(あぁ、その選択肢はあったんだ…)
思った。そして、
(もう、いいかな)
すとん、と、そう思った瞬間、
自分の体が何か暖かいもので包まれて、ふわっと軽くなるのがわかった。

そして、私はようやく理解した。

私を苦しめていたのは、
人でも、
運命でもない。

私を苦しめていたのは、
『"この場所で90周走る力のない自分"を
 認めることのできない自分自身』
だったのだ。

――・・・

ちょうどこの頃、やけに、
“好き”を仕事にしてるんだろうなぁという人たちと会うことが多かった。

不動産屋の担当の女性、
スケートのコーチ、
大学の教授、
昔、転職した会社の同期、etc..

彼らを見ながら、

私も本当はこんな風に、まっすぐに“好き”に気持ちを注いで、走りたいんだ。
苦しむなら、その“好き”の道の途中で苦しんでいきたいんだ。
そうやって生きていきたいんだ。
それなのに。

そう思っていた。

――・・・

私は、
空っぽな自分の中に、最後に残った"好き"に気づく。

『"好き"に向かって、
 がむしゃらに頑張る自分が”好き”』

6年前に会社を辞めようとした時よりも、
遙かにたくさんの別れがたい人たちがいる。
長野のお客さんの仕事だって、
ここにいれば、またいつか機会が訪れるかもしれない。
その時こそは、絆を育んだ会社のみんなと、
大切なお客さんの仕事をできるかもしれない。

だけど、たとえ、それらの"好き"を全て手放すことになるのだとしても、
この"好き"だけは、どうしても手放せない。


2014年2月末。
私は、
自分の限界を認めて、負けを認めて、
「90周走る」という想いを貫けなかった自分を認めて、
次の場所へ行くことを決意する。

 * * *

そこからは一気だった。
課長のA村さんに辞意を伝えて、引き継ぎ体制を整えてもらうことを依頼し、
引っ越しの準備をしながら履歴書を書き、
新居でダンボールに囲まれながら、面接の準備をした。

このままここにいたら死ぬ。
肉体的な死でなくとも、
精神的な死を迎える。

はっきり、そう思った。

だから、私は、猛スピードで、
自分が生き延びるための道を進んだ。


『"希望を灯す一言"を言えるリーダーになりたい』
そう思っていた。

「そっちがダメでも、こっちのルートがあるよね!」
それが、希望を灯す一言だ。

「この場所で90周走れない自分を認めて、
 次の場所へ行こう!」
それが、『自分の人生』という名のプロジェクトのリーダーとして、
私が私に言った、希望を灯す一言だった。

 * * *

私の人生の中で、本当に何かを諦めたのは、
これが初めてのことだったと思う。

就職活動で希望の職種を諦めたこともある。
どれだけ頑張っても実らなかった恋だって、ある。

だけど、それらは、
他者から突きつけられたNoだった。

この頃の私には、誰一人、無理だと言わなかったのだ。
「君ならできるよ。君なら、この会社で何とかできるよ」
誰もが、そう言ったし、それを期待されていた。
私だって、できると思っていた。

だけど、駄目なのだ。
ここでは、駄目なのだ。

私が初めて自分の人生で、
自分に突きつけたNoだった。


ちょうどこの頃、本屋で見つけた『諦める力』という書籍に、
こんなことが書かれていた。

「諦めるという言葉の語源は、”明らめる”。
 自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し、
 今、この瞬間にある自分の姿を悟る、ということ」
「人生にはどれだけがんばっても『仕方がない』ことがある。
 でも、『仕方がある』こともいくらでも残っている」

そう。
"ここまでやったのに、諦める"のではないのだ。

ここまでやったからこそ、
私は私の限界を明らかにして、諦めるのだ。

そして、明らかにした自分でもって、次の場所に進むのだ。

 * * *

思えば、どこかに無理があったのだ。

ES活動は楽しかったけれど、
主業務の方は、社会人2~5年目までの時に携わった
長野のプロジェクトを除いて、ずっとしっくり来ていなかったのだ。

どれだけ頑張っても、自分で価値を見い出すことができずに
体調を崩すほどに苦しんだBCPシステム。
周りに価値があることを理解してもらうところで
四苦八苦していたセンターの仕事。

1泊2日のES社員研修旅行で、会社の強みを挙げて、
自分たちの会社のこれからの事業について、社員たちが考えるワークがあり、
そこではいつも、大規模システムに関する話で社員たちは盛り上がっていた。

ファシリテーターの私は、そんな彼らの様子を見ながら、
(それは、私のやりたいことではないなぁ…。
 でも、みんなが楽しそうだから、いっか。
 私は、会社の片隅で、
 自分のやりたいことをできるようにしていければいいか)
そんなことを思っていた。

2年目社員の子たちが、すごく頑張ってボウリング大会を成功させてくれた時、
嬉しい気持ちで彼らの様子を後ろから拍手して見守りながら、
(私のこれからの役割というのは、こんな風に一歩後ろに下がって、
 笑顔で応援して、必要な時に、
 最低限のフォローをそっと入れていくような形がいいのかもな)
そんなことを考えていた。


会社のみんなが楽しそうにしているのを、
後ろから嬉しく眺めて、そっとフォローする自分。

そんな自分の未来像が見え始めていた。

だけど。
その未来の自分は、なんだかどこか寂しそうでもあったのだ。


けれど、そこに蓋をして、
会社のため、みんなのため、会社のため、みんなのため…。
そうやって走っていた。

そんなので、90周走れるわけなどなかったのだ。
エネルギーが尽きるのは当たり前だったのだ。

だから、人や運命に報いてもらおうとして、
叶わなかったところで、エネルギーが尽きたのだ。

まず、"自分のため"でなければいけないのだ。
自分がちゃんとエネルギーを得られる「今」でなければいけないのだ。
そういう持続可能な走り方でなければ、駄目なのだ。


だから。

私の人生プロジェクトのリーダーたる私は、
私に向かって号令する。

明日へのエネルギーを、
今日受け取ることができる場所へ、
行くのだ!

(つづく)


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