"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 後編 vol.6

(主な登場人物)

  • 私…ハード部署の保守センターの業務を整えようとしている。籍はソフトウェア部署。
  • Yさん…初代センター長。私をセンターに入れた人。
  • H野さん…2代目センター長。私の仕事が理解できない人。
  • K松さん…センターの実務をこなす課長。ただでさえ多忙なのに、直接会話しない上の人達の間に挟まれて、さらに大変な人。
  • Aさん…新しくセンターにやってきた部長。
  • K部長…ソフトウェア部署側の上司。基本的に年に4回の成果面談でだけ会話する人。

(前回のあらすじ)
明るいセンターのみんなが大好きだった、という話。

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2012年9月。
やっと、人事部のプログラミング研修の仕事が終わり、
今度こそセンターの仕事に集中できる、
と思っていた矢先に、なんと、再度、同じ依頼が来た。
「H野さんから了承いただいたので…」
人事部はそう言った。

これで3度目だった。
H野さんの勝手な判断で、やりたくもない期間3ヶ月のレビュアーの仕事を
引き受けさせられるのは。

課長のK松さんに、またプログラミング研修の仕事の話を
H野さんが引き受けたことについて知っているか確認すると、
「え…聞いていない…」
そんな返事だった。

私はもう我慢の限界だった。

最後の手段で、ソフトウェア部署の上司のK部長を頼って、
彼経由で断ってもらった。

私は、プロジェクトはハード部署で、籍はソフトウェア部署という状態だったので、
2系統の上司がいた。
ソフトウェア部署の上司のK部長は、私のことをあまり快く思っていない人なので
なるべく頼りたくはなかったが、もう、なりふり構っていられなかった。


そうして何とか研修の仕事から逃れた私は、
「ツールチームはK松に任せているから…」
と渋るH野さんと、忙しいK松さんを何とか捕まえて、
一年ぶりのツールチームの進捗会議を開催した。

とにかく現在の私のチームの進捗状況を共有して、
私がセンターの仕事に専念できるように、
これ以上、H野さんのポイント稼ぎのための横やりを
入れられないようにしようと考えたのだ。

けれど。

「一年かけてできていないことなら、やらなくていいってことだろ」
そうH野さんは言い放った。

一年間、進捗が滞っていたのは、
あなたが、勝手に人事部の仕事を入れ続けたからだ。
あなたのお気に入りの協力会社の彼が、何も仕事をしないからだ。

センターの仕事は、私が一人で勝手に突っ走ってやっているわけではなく、
課長のK松さんには、進捗会はできなくとも、
合間を見つけて、方針を擦り合わせしていたし、
センターの有識者とも認識合わせはしていた。

ただ、センター長のH野さんだけが、
「K松に任せる」と言いながら、
K松さんに何も確認することなく、好き勝手に振り回し続けているのだ。


私は追い詰められていた。

この頃、忙しいK松さんをなんとか捕まえて相談するたびに、
変わることのない状況に、途中でヒステリーを起こすようにもなっていた。

私の仕事の意義を理解して、きちんとフォローしてくれる幹部社員が
この時、どうしても必要だった。

K松さんは私の仕事にきちんと理解を示してくれてはいたが、
あまりに忙しすぎて、頼れなかった。

元センター長のYさんは、私のことをそれなりに気に入ってくれているから、
頼れば力になってくれるかもしれない。
だけど、センターのみんなが、仲の悪いH野さんとYさんを、
その時々の自分たちの都合に合わせて頼っていることが
現在のセンターの業務が整っていないことの一因でもあるのだ。
センターの業務を整えようとしている私が、それはできなかった。

だから―――

私は、見切り発車をした。

 * * *

部長のAさんがセンターに来たのは、2か月前のことだった。

全く知らない人だったが、事前に得ていた情報は、

「優秀な人」
「だけど、癖のあるお客さんに嫌われて、部長なのに客先の出入り禁止をくらった」
「本人がジョブローテーション希望に自分の名前を書いて異動希望を出した」
(『幹部社員もジョブローテーション希望に自分の名前を
  書いてもいいんだ!?』と幹部社員たちがどよめいたらしい)

こんな感じだった。

噂を鵜呑みにするものではないけれど、彼自身がセンター初日の挨拶で、
「客に追い出されて、ここに来ました」
と言っていたので、それほど間違ってもいない情報なのだろう。

部長職としてやってきたAさんだったが、
センターの全体会議では終始無言で、
毎日、ひたすら、センターにたくさん積まれている資料を片っ端から読み漁っていた。

人と視線を合わせないところが、少し気になることを除いて、
ここまでの間で、人となりは全く掴めていなかった。


私には、相手が信頼に足る人かどうかを見極めるための
条件にしていることがあった。

「うまくいかないことがあった時に、その人がどうするか」だ。

逃げる人、人のせいにする人、何とかすることを考える人。色々いる。

うまくいかないことがあった時にも、そこで踏ん張り、
人を責めるのではなく、自分で何とかしようとする人。
それが、私にとっての信頼できる人の条件だった。


Aさんの経歴からすると、彼はうまくいかなくて、逃げて来た人ではあった。
ただ、本当にどうしようもないケース、逃げた方がいいケースというのもある。

私にはこの頃、センター外で信頼している幹部社員が2人いた。
コミュニケーションWGを手伝ってくれた課長職のK池さんと、
ウィキWGを手伝ってくれている部長職のO崎さんだ。

「Aさんは優秀な人だよ。業務のこともわかっている。
 お客さんの当たりが悪かったんだよ」
と、K池さんは言い、
「Aさんとは仲の良い飲み友達だよ」
そうO崎さんは言っていた。


私にはもう時間の猶予がなかった。

2012年。この頃の会社の状況がどうだったかというと、
会社合併の目的だった大規模システムの更改があらかた落ち着いて、
収益が一気に落ち込み、
合併のシナジー効果を出すことを親会社から求められているところだった。

社長のMさんが来年に定年退職となることもあり、
もしもそれまでに会社合併による効果を挙げられなければ、
会社は再び分割したり統合したりすることになるかもしれない。

会社の中の壁を壊すためにやってきたことが、
全て水の泡になりかねなかったのだ。

だから、ソフトウェア部署としての知見を活かして
ハード部署であるセンターの業務を整えて、
センターを効率的に機能させられるようにして、
それを合併のシナジー効果として上げること。

それが私にはどうしても必要だった。

けれど、いつまでたってもセンターの業務を整えることの
必要性を理解しないH野さんに、
いつなんどき、新たな割り込み仕事を入れられるかわからない。
次の3月に再びジョブローテーション希望に挙げられて、
今度こそセンターから異動になるかもしれない。

Aさんが本格的にセンターの仕事に加わって、
何かうまくいかないことに出くわして、その時に彼がどう対応するのか。
そんなシチュエーションが訪れるのを待っている余裕はなかった。

だから私は、私の信頼する2人の口コミを信頼材料にして、
見切り発車することにしたのだ。

 * * *

私は、K松さんとAさんに、
相談があるのですが…と言って打合せの場を設けさせてもらった。

そしてその場で、ツールチームの現在の主な課題を
簡潔に一覧にした資料を2人に渡した。

5つくらい課題を挙げていたと思うが、主なことは、
H野さんによって、一年ほとんど進捗を進められる状況にないことと、
協力会社の彼が全く仕事をしていないこと、
の2点だった。

私の話を聞いて、
「ここまでの状況になっていたのを知らなくて、ごめん」
とK松さんは言い、
「これは何とかしなきゃいけないだろ。業務を整えるのが最優先だろ」
そうAさんが言ってくれた。

『業務を整えるのが最優先』

その言葉を聞いた時のうれしさを、私は今もはっきり覚えている。
やっと、やっと、わかってくれる人がいた。

H野さんには全く言葉が通じなかったし、
センターのみんなは私を応援してくれてはいたが、
『業務を整える』ということの意義をきちんと理解しているわけではなかった。

自分が価値を認めているものの価値を、理解してもらえない心許なさを感じながら、
ずっと、孤軍奮闘しているような状態だった。

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「俺が見るよ」
そうAさんは言ってくれた。

やっと、やりたかったことができる。
もう一人で空回るように頑張らなくていいんだ。

すぅっと肩に入っていた力が抜けていくのがわかった。

「よろしくお願いします」
私は喜色いっぱいに、Aさんにそう言った。

(つづく)


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