"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 後編 vol.7

(主な登場人物)

  • 私…ハード部署の保守センターの業務を整えようとしている。籍はソフトウェア部署。
  • Yさん…初代センター長。私をセンターに入れた人。
  • H野さん…2代目センター長。私の仕事が理解できない人。
  • K松さん…センターの実務をこなす課長。ただでさえ多忙なのに、直接会話しない上の人達の間に挟まれて、さらに大変な人。
  • Aさん…新しくセンターにやってきた部長。
  • K部長…ソフトウェア部署側の上司。基本的に年に4回の成果面談でだけ会話する人。

(前回のあらすじ)
センター長のH野さんに振り回されて、まともにセンターの仕事に取り組めない状況の続いていた私は、
新たにセンターにやってきた部長のAさんに相談して、
彼に協力してもらえることになる。

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2012年9月。

私が相談した、すぐ後くらいから、
Aさんは、それまで完全無言だった定例会議でも、
ばんばんと発言していくようになった。

センターに来てまだ3ヶ月くらいだったが、
3年いるセンター長のH野さんよりも、センターのことに詳しいくらいだった。
センターの資料をひたすらに読み込んで、自分の中の準備が整ってから、
打って出るタイプだったのだろう。


ずっと定期開催されることのなかったツールグループの進捗会議も、
定期的に行われるようになった。

ずっとサボっていた協力会社の彼にも、
Aさんは、ばしっと進捗のなさを指摘してくれた。

Aさんが彼に進捗状況や作業内容について確認するも、
何も答えられない彼の様子に、
珍しく進捗会議に同席していたH野さんが、戸惑ったような表情をしていた。


やっと、センターの仕事に注力できるようになった私は、
この頃になって、ようやく、協力会社の彼が、
単に、自分の仕事が何なのかを
理解していなかっただけなのだということに気がついた。

彼は、自分に振られているのが、
本当にただのファイルコピー作業などの雑務だと勘違いしていて、
「いったいいつになったら、まともな仕事が降りてくるのだろう?」
と腐りながら、しがな一日、ネットサーフィンをしていたのだ。

ずっと私が人事部のフロアに出ずっぱりになっていて、
朝会以外でのコミュニケーションが取れなかったことと、
彼が、勘違いしているなりのアウトプットを出してこなかったことが重なって、
半年もの間、ずっと気づけなかったのだ。
席を並べて働いてみれば、ほんの1週間で気付けたことが。

そして、彼は自分の会社の営業に、
「雑務を振られていて、つまらない」
とこぼし、その営業からH野さんへその言葉が伝わって、
「そうか。あいつは本当に優秀で、それを活用しきれないSatoは大したことないな」
と思って、
「もっとあいつへ任せろ」
と私に言って、私はずっと人事部の仕事をさせられていたのだ。

本当に馬鹿みたいに滑稽な話だ。


Aさんにキツく問い詰められている彼の姿を見て、
ちょっとかわいそうかな、と思いつつも、
(でも、あなたがサボらなければ、もっと早くにわかったことなんだから、
 ちょっとはキツく言われて反省しなさい)
そんな風に思った。


私は、彼がちゃんと反省して、
自分の仕事が何か理解して、それをやってくれるようになれば、
それで良かった。

だけど。

彼がちゃんと仕事をするようになってからも、
進捗会でのAさんの彼への当たりはキツいままだった。
彼がちゃんとやっていること、できていることについても、
何か粗を見つけては𠮟責した。

(ちょっと、これはマズい…)
私は、不安になりだした。

彼がずっとサボっていたこと自体は、もちろん彼が悪いが、
H野さんに追い詰められていた私が、
Aさんに対して、過剰に彼のことを悪く言ってしまったかもしれない。

私の中に、彼に対する嫉妬心があったのは事実だ。
私の方は、H野さんから評価されず、センターの仕事から遠ざけられ、
いつセンターから出されるかわからない恐怖と戦っているのに、
何もしていない彼がH野さんに気に入られて、
「あいつに任せろ」と言われているということに。


進捗会の後にK松さんとAさんと私の3人で残って少し話をした時に、
「彼、そこまで悪くはなかったかもです」
そう、言ってみた。
K松さんとAさんは私の言葉に小さく笑ったが、
その後も、Aさんの彼に対する厳しい当たりは変わらなかった。


その点だけは一抹の不安を感じていたが、
私とAさん自体は、特に問題なくうまくやれていた。

ずっと滞っていたセンターの仕事を、Aさんのお陰で
ようやく進められるようになった私は、
本当に久しぶりに楽しい気持ちで
目の前の仕事に取り組めることを喜んでいた。

11月中旬のある日までは。

 * * *

それは、いつもの進捗会のことだった。
その頃は、ツールチームとインフラチームが合同で進捗会を行っていた。

ツールチームで開発中のあるツールに関して、
テスト工程で、時折、異常終了する問題が見つかったことについて
私は報告していた。

現時点で原因が不明だったので、
リリースを優先して、もしも異常終了したら手動で再起動する方向でいこうと
考えている。
そういう報告をした。

センター内で動かすツールは、
品質よりも、いち早くリリースして業務改善を図ることの方が優先されたのだ。
ツールが動作するのは、平日の日中なので、
異常終了したら手動で再起動する、という対処は、
私がセンターに来る以前から、恒例のことだった。

課長のK松さん含め、その場のメンバーが、
あぁ、そうね。って感じで、次の議題に移ろうとしたところで、

「何考えてんだ! 障害放置していいわけないだろうが!」
Aさんが、いきなり怒鳴った。

私を含む出席者は全員、しーんとなった。
しばらくの間の後、
「あ、じゃあ、これはやっぱり調査しようか」
そうK松さんが言って、その件は、原因調査をすることに決まった。

「ったく。ここは品質を何だと思ってんだ」
そうAさんは吐き捨てるように言った。

進捗会の議題が一通り片付いて、じゃあ今日はこれでお開きに…
となったところで、どうしても釈然としなかった私は、
「さっきのあれは、問題というのとは、ちょっと違うと思うんですが」
そう言った。

Aさんは何も言わなかった。

 * * *

それからだった。

「こんなんでいいわけねーだろ!」
「何を言ってるのわからねーよ!」

進捗会で、私はAさんからひたすら罵声を浴びせられるようになった。

私が罵声を浴びせられる代わりに、
協力会社の彼への当たりはやわらなかくなった。


Aさんはきっと、あの進捗会の時に、
私がスキルが低いのに生意気だけを言う人間だと、
きっと思ったのだろう。

だから、最初の頃は、

(私のスキルが低くなどないことがわかれば
 誤解に気がついて、きっとこの状態も収まるはず)

そう考えて、私は、彼がしてくる無茶な要求にも応えようとした。


Aさんは、本当に細かすぎるところまで指摘をしてきて、
「もちろん、これもちゃんと調査して対処するよな? 
 で、スケジュールも守れるんだよな?」
そう言われた。

私は、ずっと滞っていたツールの開発をいち早くリリースするための、
リリース最優先のスケジュールを引いていた。
センターにとって、いちはやくリリースすること。
それがとても大切なことだったから。

私は残業して、何とかカバーした。
センターの予算はかつかつで残業する予算などなく、
タイムカードを切った上での残業だった。

けれど、Aさんの私に対する態度は変わることなく、
途中で他のチームからの要求で仕様変更が加わったようなケースまでも、
「もちろん対応した上でスケジュール守れるよな?」
そう言ってきた。

タイムカードを切って残業している私の姿を見てもAさんは何も言わず、
私の横を何も言わずに、通り過ぎて帰っていった。

ざくり、ざくりと、
柔らかな心にナイフを突き刺されるようだった。


進捗会は、課題の共有や相談の場のはずだった。
けれど、何か困ったことがあって相談しようとしても、
「なんでそんなことになってるんだ!」
ひたすら罵声が飛んでくるだけの状況となっていた。
どれだけ問題があっても、無茶なスケジュールになっても、
私はそれを相談することはできず、
ただ残業でカバーするしかなくなっていた。


H野さんに振り回されて1年間まともにセンターの仕事ができず、
だけど、センターのためには絶対に自分の仕事が必要だと思ったから、
ただただ、センターのためにと思って、Aさんに相談した。

センターのためにと思って、リリース最優先のスケジュールを引いた。

だけど、その結果がこれだった。


(私は自分の身を守るために、堅実な品質を守れる、
 堅実なスケジュールを引けば良かったんだろうか…?)
深夜残業の中、そんなことを思った。

たとえばその結果、センターが解散することになっても、
会社が分散することになっても、知ったことじゃない、と。
言われたことだけやって、自分の領分守って、
やるべき人間がやるべきことをやればいいんだ、と言って、
自分は知らん顔して。

そうやっていれば、今こんなにも私は傷つけられることはなかったのだ。

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 * * *

Aさんは私に対してだけでなく、センターの他の会議でも、
「こんなんじゃダメだろう!」
「なんで、ここの奴らは出来ないんだ!」
「社内の部署だからって、適当にやってんじゃねーよ!」
そんな発言が増えていった。

私の目から見て、センターのメンバー達が
適当にやっているようには見えなかった。

自由でのびのびした人たちが集まっていて、
彼らの自由勝手さに私自身、振り回されはしたが、
それぞれが、それぞれのやり方で、仕事に向き合っていた。

センターが混沌としているのは、それなりの背景があるのだ。
後からやって来た人間が、
その背景を紐解かずに、正論を振りかざしたところで、
「はい、解決」なんてならないのだ。

そんな簡単に解決することなら、
とっくに解決できている。


「うまくいかなかった時に、その人がどうするか」
相手が信頼に足る人かどうかの私の判断基準。
その基準は間違っていなかった。

だけど、私は
見極める前に、動いてしまったのだ。
もう遅かったーー。

 * * *

そんな感じに、私以外の人間に対しても、
切れやすくなっていたAさんだったが、
やはり私への振る舞いが一番ひどかった。

いつも進捗会が終わると、
インフラチームのS内さんやK橋さんが
私のことを気遣わしげにしてくれた。

「調査手伝いますよ」
そんな風に言ってくれるK橋さんに、
(昔、あなたが弱ってるときにキツいこと言っていた私に、いい奴だなぁ…)
と思いつつ、
(でも、たぶんもう、調査ができればいいとか、
 そういう話ではないんだ、Aさんは)
そう思った。


打合せの予定も、
私はAさんから連絡をもらうことがなくなっていた。
私の後ろで、インフラチームのリーダのS内さんに、Aさんが打合せの予定を
告げているところを盗み聞いて、それで打合せに参加するような状態だった。

進捗会の罵声以外で、Aさんが私に声をかけてくることはなかった。


ある日の進捗会では、
「何を言ってるかわかんねーよ!」
そう言って、私の資料をばさっと放り投げ、
「お前じゃ駄目だ!Eを呼んで来い!」
と怒鳴り、S内さんにセンターの有識者の一人のEさんを連れてこさせた。

呼ばれてやってきたEさんは、私が説明したのと全く同じ内容を
Aさんに説明した。それを聞いたAさんは
「そうか、わかった。なら、いい」
そう言った。


Aさんの私に対する態度は、もう完全に壊れているようにしか思えなかった。
だけど、私は耐えた。

彼が私にどんな態度を取ろうが、最終的にセンターの課題が解決に向かうなら、
それでいい。

そう思って、ひたすら耐えた。

耐えながら、
だけど、
心はざくり、ざくりと、
切り刻まれていった。


2011年9月からの1年間、
H野さんに振り回されてセンターの仕事がまともにできない状況が続き、
ようやく、仕事に向き合えると思ったのも束の間、
2012年11月中旬から、
今度はAさんによって、こんな状況に私は置かれたのだった。

(つづく)


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