ひさしぶりに読み返した本が、まるで違って読めた話

私は読み終わった本は、基本的に手放す。
手元に残しておくのは、よっぽど気に入った本だけ。

・・・なのだけど、一冊だけ、
それほど気に入ったわけではないのに、なぜか手元に残していた本がある。


ある小さな村で、
プラネタリウムに置き去りにされた双子の赤ん坊が
プラネタリウムの解説員の元で育ち、
やがて成長した彼らは異なる人生を歩み出す。

というのが、簡単なあらすじ。

読んだのは、2007年。話の内容はほとんど記憶になく、
覚えているのは、
大まかなあらすじと、
なんとなく不思議な世界観だったことと、
読んだ当時、格別に面白いとは思わなかったことだけ。

読書感想メモには、可も不可もなくの星3と、
「輪郭のない話だと思った」
という当時の自分の感想が綴られている。

なぜ、自分がこの本を手元に残すことを選んだのか、
以前から自分自身で謎だったのだけど、
ときめかなくなった本を手放そうと本棚を眺めるたびに、
「この本は、たぶん『いつか読み返してみるか』と思って残したんだろうな。じゃあ、読み返すまでは残しておくか」
と思って、ずっと手元に残り続けていた。


そして先日、なんか小説を読みたい気分になり、
だけど、手元に未読の小説本がなくなったので、
「じゃあ、この機会にこれを読み返して、それで手放すか」
と思って、じつに16年ぶりにページをめくり始めた。

あぁ、こんな話だったかなー、
と思いながら、のんびり読み進めていくうちに、
物語の中盤あたりから、「あれ?これは…」と驚き始めた。

輪郭がない、なんて、とんでもない。
これは、一見ばらばらに見えるひとつひとつの星たちが、
ひとつひとつ、きちんと輝くことで、
全体として大きな意味を成すことを示す物語じゃないか。

そう気づいた瞬間、戦慄した。

タイトルにある通り、物語の中では、
プラネタリウムが主要な舞台となっていて、
”星空は、一見無秩序にばらばらの星が散らばっているように見えるけど、
こんな風に線で繋げると星座になって、それぞれの物語があるんですよ”
というような話が、プラネタリウムの解説員である双子の父親によって、
毎夜毎夜、静かに村人たちに向けて語られる。

この物語を最初に読んだ20代半ばの自分には、
プラネタリウム、熊狩りの儀式、老婆、手品師…、
描かれる小さなひとつひとつの物語たちが、
ただ、ばらばらに存在している「輪郭のない話」に見えた。

それから16年経て読み返した今の自分には、
20代の自分には見えなかった、物語の意味するところ、
ひとつひとつの物語が直接繋がらなくとも、
まるで天空を綾なす星座たちのように、全体として意味を持っているのが、はっきりと見えた。

プラネタリウムの天井に、無秩序なばらばらの星が映し出された後に、
そこに、ふーっと星座の絵が重ね合わして映し出されることで、
同じ星空が意味を持った姿に変化して見えるのと同じ体験を、
16年ごしの年月をかけて、この物語を読む私自身が体験したのだ。


なぜ、以前読んだ時に、この物語で語られていることに気づかなかったのだろう?
と思うと同時に、20代の自分にわからなかったのも自然なことなのだろう、と思った。

『いまはまだ、わかんないだろうがね』
物語の中で、登場人物の一人である老婆が、20代の青年に成長した双子の片割れに対して言うシーンがある。
20代の彼には、まだわからない。だけど、目の前にある自分のできることをやっていくうちに、やがてわかる。
そんなことを老婆が双子の片割れに対して語る。


一見、毎夜毎夜同じ姿に見える星空も、
実は長い長い時間をかけて、星は動いて、星々は近づいたり離れたりして、
天空は少しずつ姿を変えていく。
そんな話もプラネタリウムでは語られている。


というわけで、
物語の描いていることを、
読者自身の長い年月込みで、読者に体験させてくれたこの物語に脱帽し、
今度は読書感想メモに星5をつけて、お気に入りの本として書棚に戻したのでした。