"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 後編 vol.3

(前回のあらすじ)
2代目センター長のH野さんと私は、
イマイチなファーストインプレッションを交わし合う。

前回→"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 後編 vol.2 - Sato’s Diary
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センター長のH野さんと距離を置いた形となった私は、
特に気にせず、センターの業務を整える仕事を進めるが、

2011年5月、
ボウリング大会企画が始まり、センターの業務がちょっと疎かになり。
2011年7月、
ボウリング大会が終了し、よし、センターの仕事に注力するぞ、
となったところで、熱中症で体調を崩して、
まともに働けない状態となり。
2011年9月、
秋口になって涼しくなってきたところで、ようやく体調も回復してきて、
よし、やっとセンターの仕事ができるぞ、となったところで、
今度は課長のK松さんが、連日、顧客対応に追われ出した。


毎週の定例チームミーティングは、毎回、
「ごめんっ、ちょっと今、緊急の顧客対応が必要になったから、
 H野さんに見てもらって」
とK松さんに言われ、それでH野さんのところに行くと、
「ツールチームのことはK松に任せているから、俺は知らん」
と言われ、それをK松さんに言いに行くと、
「ごめん…じゃあ、今週はなしで…」

そんな状況が続いた。

保守センターの主業務は保守業務なので、
そちらが優先されることは仕方ない。
「いつでも報告できる準備は整えてますから」
そうK松さんとH野さんの2人には伝えて、
私は私で進められることを進め続けた。


そうして、幹部社員たちから進捗確認されることのない状況が
どれくらい続いたかと言うと、1年である。
2011年9月から2012年9月までの丸一年。


その間、H野さんは、進捗確認することも、
彼から私に話しかけてくることもほとんどなかったが、
間接的に、色々私を振り回してきた。


ある日、協力会社のチームメンバーのひとりから、
「今度、うちの会社の人間がもう一人、
 このチームに入ってくることになってるんですが、聞いてますか…?」
そう、遠慮がちに尋ねられた。
聞いていない。なんだ、それは。
「H野さんと、うちの営業とで話がついたみたいなんですが…」

今の私のチームは、開発者を必要としているわけではないのだ。
だけどH野さんが、自分の伝手のある協力会社に良い顔をするために、
私にも課長のK松さんにも相談も連絡もなく、
勝手に必要としているわけでもないメンバーを入れ、
その対応に私は追われた。


またある日、人事部から、
若手のプログラミング研修のレビュアーとして
私がアサインされたスケジュールが送られてきた。

私は何も確認されていないし、それどころではないのに、何だ??
と思って人事部に確認したら、
「H野さんに確認したら、良いって言われまして…」
と、返ってきた。
進捗確認せず、私の状況を何もわかっていないのに、
何でもって良いと判断してやがるんだ。
どうせ自分のポイント稼ぎのために、人事部に良い顔したくて、
適当にOKしたんだろう。

 * * *

プログラミング研修の仕事は、3か月間、
人事部のフロアに出ずっぱりになる必要があった。
その状態でも、何とかチームとして仕事を進めて行くために、
どうしようか考えた私は、カンバンボードを用意した。

毎朝、カンバンボードの前で、チームの進捗確認をして、
夕方にセンターに戻ってきてからは、
自分がほとんど入れない状況で、
どうやってチームとして進めて行くか計画を立てていた。


この頃、チームのメンバーには、協力会社の3人がいた。
だけど、そのうちのリーダー格のメンバーの進捗が著しく悪かった。
悪かった、というよりも、進捗ゼロだった。

朝、カンバンボードの前で、
ほかのメンバーが進捗したタスクのカードを移動させている中、
彼は、椅子に座ったままだった。
「昨日の進捗はないんですか…?」
そう尋ねると、
「あぁ、はい」
そう返ってきた。

センターの別チームの同僚から、
「彼、就業時間中、ずっとネットサーフィンしてるよ」
そう教えられた。
「お金を払ってるのはこっちなんだから、きつく注意した方がいいよ」
そう言われたが、私は彼にきつく言うことができなかった。

お金を理由に相手を従わせることへの抵抗と、
彼が私を軽視するのは、
センター長であるH野さんが、
明らかに私のことを軽視していて
それが彼に伝わっていることも一因だろう、
と思ったからだ。
さらに彼はH野さんのお気に入りだった。
私たちの会社側の姿勢にも大きな問題があるのだ。

だから、私は、イライラを募らせつつも、
彼にきつく言うことができなかった。


ある日、珍しくH野さんが私に声をかけてきた。
「おい、お前、もっとあいつにちゃんとした仕事を振ってやれ。
 この間、あそこの営業に、
 『彼は、振られている仕事が雑務でつまらないとこぼしています。
  彼は優秀なので、もっと別の場所に行かせようかと考えてるんですが』
 って言われたぞ。
 『それはすまんなぁ、だが悪いが、うちの仕事をさせてやってくれ』
 って言っておいてやったぞ」

自分の伝手で入れた協力会社のお気に入りの社員が優秀なことに、
鼻高々になっているH野さんを見ながら、
(彼は、何も仕事をしていないですよ…?)
そう私は、心の中で言った。

彼を引き留めるよりも、私がセンターの仕事をできるようにしてくれ。

 * * *

そんな状態の続いていた、2012年3月。
「Satoちゃん、ジョブローテーション希望書いた?」
ある夜、ES委員会のメンバーで集まって遊んでいる時に、
課長職のK池さんが言った。

年に2回、社員は、
ジョブローテーション希望を書く機会があった。

「書いてないですよ? 書くわけないじゃないですか。
 私、センターの仕事を何とかしようと頑張ってるところなんですから」
「そうだよねぇ? いつもそう言ってるもんねぇ…。
 なんかこの間、ジョブローテーション希望者一覧に、
 Satoちゃんの名前を見た気がして」
「見間違いですよ」
私は笑って返した。

けれど、その次にK池さんに会った時に、
「もしかしたら、部署希望のジョブローテーション希望として載っていたのかも」
そう言われた。
「ジョブローテーション希望って、
 本人が希望するものと、部署の上長が希望するものがあるんだよ」
そう説明された。

K池さんの言葉を聞いて、
(あぁ、H野さんが挙げたんだな…)
そう思った。

「でも、ジョブローテーションは結局、通らなかったから大丈夫だよ。
 あれ、受け取り手がいないと、通らない仕組みなんだよ。
 だから、4月からもセンターだよ」
慰めるように、K池さんは言った。


帰り道、自転車を漕ぎながら、
私は涙が止まらなかった。

センターは最近予算がカツカツになってきていた。
だから人員削減しようと考えたのだろう。
それ自体は仕方がない。

きちんと私のやっていることを見て、
それで私がいらないと判断されたのなら、それは別に構わない。
だけど、何も見ないで、それで切り捨てようとされたことが、
ただひたすらに悲しかった。

放っておかれたままなのは、H野さんと相性は悪くとも、
私は放っておいても何とかやれるだろう、大丈夫だろう、
そう思ってもらえているからなのだと思っていた。

だけど、そうではなくて、
単に、どうでもいいからだったのだな、と。


私たちの会社は、部署やプロジェクトごとに財布を持っていて、
その中でやり繰りする方式だった。
協力会社のメンバーよりも、社員の方が単価が高かった。
だから、変な話だけど、
お財布がきつくなってきたら、社員を外に出して、協力会社のメンバーを残した方が
部署のお財布にはやさしいのだ。

H野さんにとっては、
私の仕事なんて、優秀に見えている――だけど実際には
何も仕事をしていない協力会社の彼に、
いつでも簡単に替わってもらえるものだと、
その程度のものに映っているのだろう。

 * * *

「俺がSatoさんの立場だったら、センターを出るけどね」
センターの同僚たちと飲んで、H野さんに関するあれこれを
散々に愚痴った後の帰り道、先輩社員のN口さんがそう言った。

幹部社員たちには、さんざん振り回されたセンターだったけど、
いつでも、どんな時でも、私の愚痴を聞いてくれる人や、笑わせてくれる人、
「頑張ってるね~」と通りしなに声をかけてくれる人たちが必ずいて、
私はこの場所で、一度も孤独になることがなかった。

あの頃のN口さんと近い年齢になった今の私は、
N口さんの言葉の意味がよくわかるし、今の私ならそうするだろう。

だけど、あの頃の私は、
大好きなセンターのみんなの役に立ちたかったのだ。

私がセンターの業務を整えることによる恩恵を
まず最初に受けるのは、彼らのはずだった。
そして、大好きな彼らに、
私の仕事の意義を実感してもらいたかったのだ。

「あぁ、業務を整えることの価値ってこういうことなんだね。
 ソフトウェア部署のやっていることってこういうことなんだね」
そう理解してもらいたかったのだ。

ボウリング大会や社内Wikiの『明るく、楽しく』だけじゃなく、
ちゃんと実務の方からも、ソフトウェアとハードの部署の間の壁を
私は取り払っていきたかったのだ。

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(つづく)

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