"好き"と"関心"を巡る冒険 第三章 Winter-6

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O野さんが会社を辞めるという話を
S津さんから聞いたのは、2019年3月。
私がS津さんと評価のことで揉める数ヶ月前のことだった。

この1週間前の1on1の時、
「この後、O野に話があるからってT内と3人で飲みに誘われてるから、今日の1on1は早めに切り上げさせてくれ」
とS津さんから言われていたので、
O野さんの話って何だったんですか?と私が尋ねたのだ。

O野さんは、私がこの会社に入社してすぐに携わったプロジェクトのリーダーで、
そのプロジェクトが炎上したこともあり、
最初の一年は、四六時中、一緒にいて、
その後は、隣り合わせの席で働いたり、時たま仕事で絡んだり、プロジェクトの仕事を突っ返したり突っ返されたりするような、そういう間柄だった。

私が入社して早々の頃に、
家の鍵をなくしたり、出張先で寝坊したり何やりしたせいか、
O野さんは私のことを「おバカな、いじられキャラ」と見なし、
私の方は、一つ違いの彼に対して「すぐ上のムカつく兄貴」みたいな感覚を抱いていた。

彼は長男で、そのうちいつか、実家のある福島に帰るのだという話は、以前から本人に聞いていた。
O野さんは、新卒入社以来からの先輩であるS津さんとT内さんのことを特に慕っていたので、大切な報告をするなら、彼らが一番最初だろう。
だから、何となく、O野さんの話はそれなのかな、と予感はしていた。

だけど、いざS津さんの口からそれが伝えられた時、
私は思わず泣いてしまい、
向かいの席で、S津さんが
「まて、やめろ、泣くな。泣くならこの話はおしまいだ…」
と嫌そうにした。


O野さんは、典型的な体育会系脳の持ち主で、
一日でも先輩なら俺エラい、と思っている節があり、
彼の意味不明な上から目線の言動には、
心の底からの憎らしさを感じたことが幾度となくあったけれど、
こっちがどれだけ怒っていても、
「ねーねー、何怒ってんの。ちょっと、これ教えてよ」
全く気にする素振りなく、そうやって声をかけてくるので、
何とも憎みきれない人だった。

がっつり一緒に働いたのは最初の一年だけだったけど、
時折、
「ねーねー、Satoさん、ちょっとこれ教えてくんない?」
そう声を掛けてきて、私が教えると、
「さっすが、Satoさん」
と、尊敬半分、小馬鹿半分な調子でO野さんが言って。
その時間が、私は何だか好きだった。

その時間がなくなるということが、
無性に寂しかった。


(別れがたい人がいる、というのも、人生のギフトだよなぁ)
その日の帰り道、柔らかな春の夜風を浴びて歩きながら、
そんなことを思った。
そう思うことで、別れを受け容れようとした。

だけど、私は受け容れきれなかった。

「長男だから、福島の実家に帰る」
それは仕方ない。だけど、
「実家に帰るから、会社を辞める」
それは本当に仕方のないことなのか?

その頃、会社ではリモートワークを試験的に導入し始めているところだった。
まだ試験的な運用なので、子供の看護などの突発的な事情の社員に数日間許可する、という程度の内容だった。

だけど、O野さんはこの会社に必要な人だ。
この会社は、彼のことをプロジェクトを炎上させる常習犯と見なしているけれど、
炎上するのがわかりきっていて、他の人が逃げている案件を彼が担っているだけだ。
少し前にも、他の人たちが無責任に放り出して、彼のチームに押し付けた案件を文句を言わず最後まで遂行していた。

私はO野さんと別れたくない。
そして、O野さんは、この会社に必要な人だ。
そして、O野さんも、この会社のことが好きな人だ。

だったら、仕方ない、で終わらすのではなく、引き留める努力を私はしよう。

もしもO野さんに少しでも、この会社に残りたい気持ちがあるなら、
私はリモートワークをO野さんに適用してもらえるよう、会社に働きかけよう。

そう決めた私は、翌日の夜、
「ちょっと相談があるんですけど、奢るので今夜飲みに行きませんか?」
そう、O野さんに声を掛けた。

 * * *

「S津さん、喋りやがって!」

居酒屋のカウンターの席に並んで座ったところで、
「で、相談って何よ?」
と、にやにやしながら尋ねてくるO野さんに、
リモートワークじゃ駄目なんですか?
と私が言った瞬間、
他の人にはまだ内緒に、と含めていたにも関わらず、
S津さんが、彼の退職の件を私に話したことについて
O野さんは怒りだした。

まぁ、それは、あなたがS津さんを飲みに誘った日が悪かったのだ。
仕方ない。

S津さんに対して、ぶつくさ怒りの言葉を唱えているO野さんに、
「リモートワークじゃ駄目なんですか?」
私はもう一度尋ねた。

「だって俺、お客さんと直接やり取りしたいもん」
つっけんどんにO野さんは言った。
「普通に出張でお客さんのところに行けばいいじゃないですか」
うちの会社はお客さんが各都道府県にいるので、出張は盛んだ。
「何言ってんの。福島ってどれくらい遠いかわかってる?」
「新幹線とか飛行機とか使えばいいじゃないですか」
そう私が言うと、O野さんは、ふんっと鼻で笑って、
「東京に出るだけでも大変なんだぜ。お客さんのところに行くのにどれくらい時間かかると思ってんの?」
馬鹿にしたような素振りで、まったく取り合わない。

食い下がる私に、
無理無理、と言って、
「だって、もう次の会社決まってるし。すげー面白そうな会社なんだぜ」
そう言って、叔父さんが働いている会社でもあるという新しい会社の話を
期待に胸を膨らませるように楽し気に話し出した。

(あぁ、この人は、本当に前しか見てないんだなぁ…)
そんなO野さんの横顔を淋しい気持ちで眺めながら、
私はお酒を一口、口に運んだ。

彼の責任じゃないプロジェクト炎上の責を周りから責められた時も、
彼の責任である、後輩に対する言動の悪さを責められた時も、
この人は、反論も反省もせず、ただ次のプロジェクトに向かうのだ。

給料だって、上がるんだぜ。

嬉しそうにO野さんが言う。
プロジェクトを炎上させる常習犯と見なされているO野さんは、
この会社での評価は辛めだ。

(そうだね。あなたは、この会社よりも、新しい会社の方がきちんと評価してもらえるかもね)

引き留めたかった。
だけど、O野さんがもう完全に次の場所を見ていて、
その場所の方がO野さんにとって良い場所のように思えてしまったら、
もう引き留めようもなかった。

「俺、そろそろ終電だから締めようぜ。奢ってくれるんだろ?」
私の気持ちなんて全くお構いなしに、
そう言ってO野さんは、さっさと店員さんに会計を頼んだ。

 * * *

「なんで、Satoさんが俺にそんなにこだわるのかなぁ…」
居酒屋を出る時、首を傾げながらO野さんが言った。
「Satoさんは、この会社に来て一番最初に一緒に働いたのが、たまたま俺だったからじゃないの?」

なんでだろうね。
そういう刷り込みのような気もするし、違うような気もする。

この会社でのO野さんにとっての特別は、
新卒入社以来の先輩であるS津さんとT内さんだ。
そしてその次が同期や社歴10年以上の面々たちだ。

それは別に仕方がない。

だけど、それでも、
私とO野さんの、互いに対する想いの分量のあまりの違い、
私が抱く寂しさの正当性すら認めてくれないこと。

それが悲しくて、悔しくて、寂しくて、
なんだかムカついてきた私は、駅に向かう道の途中で、
O野さんの背中をバシンっと叩いた。

いってーな、何すんだよ。

そう言って睨んでくるO野さんを睨み返して、
私はふんっと顔を背けた。

ーーー・・・

暖かく楽しく親しげで、
それでいて、いつまでたっても、決して消えない壁があり続ける。

私に"好き"と寂しさを感じさせた、この会社のその空気は、
あなたが身に纏うものでもあった。

ーーー・・・

4ヶ月後に開かれたO野さんの送別会に私は行かなかった。
送別会の出欠確認の一覧が回って来た時、
そこに昔馴染みの面々ばかりが参加者として連なっているのを見て、
送別会の席で、
屈託なく笑っている自分をどうしても想像できなくて、
参加の印を付けなかったのだ。

送別会の日、送別会の参加者たちが会社を出た後、
会社に残っている私を見たN井さんが、
「あれ? あんなにたくさん一緒に仕事をしてたのに…」
ちょっと驚いた顔をしてから、
よっぽど、嫌な思いをさせられたんだねぇ。
O野さんの後輩女性たちからの評判の悪さを思い出したように、笑った。

そうだよね。
端から見て、送別会に行かないのを不思議がられる程には、
私たちは、たくさん一緒にやってきたはずだ。


送別会の日が、O野さんの最終出社日で、
送別会の会場に向かう前、O野さんが私の席に挨拶しに来てくれた。
そのことに、少しだけ救われたことは覚えているけれど、
何を言われたかも、何を返したかも、よく覚えていない。
私は少し口を尖らせていたかもしれない。

それが最後の会話だったことを、
別に後悔はしていないけれど。

 * * *

この第三章を書き始める時、
この会社に来たばかりの頃に、きらきら見えていたあの景色たちも、
今、思い返してみれば、陰って見えるんじゃないかな、と思ったりした。

だけど、想い出をひとつずつ紐解き始めてみたら、
何一つ陰ることなく、たくさんの"好き"が溢れ出てきた。
まだ何も知らないあの時だったから、"好き"だったのではなく、
たくさんのことを知った今思い返してみても、
やっぱり"好き"は"好き"のままだった。


「もしも、私がO島さんの元でやっていけなくなったら、引き取ってもらえますか?」
「いいよ」
私がS津さんと初めて言葉を交わした、あの飲み会は、
今日は誕生日なのに良いことがひとつもない、
と拗ねる私をあなたが笑って、
急遽、人を呼び集めて開催してくれた、私の誕生日会だった。

 * * *

私の退職日は、奇しくも、
あなたの退職日のちょうど一年後だった。

あなたが私の退職を人づてに聞いたかどうかは知らない。
もしも聞いていたら、自惚れ屋のあなたのことだから、
「俺がいなくなって淋しくなって辞めたのかな」
とか思ったりしてそうだけど、ここまで書いてきた通り、残念ながらそれは全く関係ない。

会社を辞めた後、
あなたから借りたままのDVDがあったことに気づいた。
いつだったか、あなたが家に持って帰るのが面倒で、
勝手に私の机に置いていった、あのB級映画2本だ。

コロナが落ち着いたら、ツーリングがてら、
福島に返しに行こうかな。
でも、会って話しても、なんだかムカつく展開になりそうだから、
郵送で送り返そうかな。
でも、住所を尋ねにメッセンジャーを送っても、
それはそれで、なんだかムカつく展開になりそうだ。

私の抱えていた寂しさを、
新しい場所で、あなたが少しは理解するだろう頃に、
会いに行ってもいいかな。
だけど、鈍くて体育会系思考のあなたは、
新しい場所でも普通にやっていけてそうで、
やっぱり、ムカつく展開になりそうだ。

DVDを目にするたびに、そんなことを考えて、
もういっそ、このまま一生会わなくてもいいかな、
と、DVDを引き出しの奥に閉まいこんだ。


だけど。

一生会わない、と
一生会えない、は
全然別物だね。


あなたの突然の訃報が私の元に届いたのは、
私が会社を辞めてから約一年後の
2021年11月。

まだ、ほんの半年前のことだ。

(つづく)


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