前回→"好き"と"関心"を巡る冒険 第三章 Winter-1 - Sato’s Diary
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S津さんとポイント制による評価方式で合意を取った私は、
共通ライブラリの引継ぎを開始した。
S津さんと相談して、開発部の中から有志を募って、
共通ライブラリの面倒を見るグループを作ることにした。
これまでのように、特定の誰かに負担を押し付ける形から脱却したかったし、
これまで、ひとりの人間が面倒を見ていたことが、
仕様がブラックボックス化することや、
多角的な視点が欠けて、保守性の悪いものになることに繋がってもいたからだ。
そうしてS津さんが開発部マネージャー達に声を掛けて
グループから有志を出してくれるよう募ったが、集まったのは、
若手ながらに色々と大変な経験をして、
会社の開発体制について問題意識を持っているM本くんと、
共通ライブラリの問題に以前から関心を持ってくれていた
大阪事業所のSマネージャーが、うちのグループからも…と言って出してくれたS田さんだけだった。
こんなものなのだ。
文句や意見、アイデアは言う。
だけど、目先の案件を言い訳にして、自分たちでは何とかしようとしないのだ。
誰かが何とかしてくれるのを待っているだけなのだ。
その中で、自ら問題提起をして、自ら問題解決に取り組んできた私のやってきたことは、間違いなく価値あることだ。
* * *
そんな不毛な開発部の中で、こうして手を上げてくれた2人が、
私のいなくなった後で馬鹿を見ることのないように、
私は最初に手を打った。
「私は1年後にこのライブラリグループから抜けます。
なので、この1年で少しずつ私がいなくても大丈夫なように体制を整えていこうと思っています」
ライブラリグループのキックオフミーティングで、私は自分が1年後に抜けることを早々に宣言して、
体制図のスライドを表示した。
メーリングリスト宛てに送られてくる、社員からの問い合わせの一次窓口はS津さんだ。
そして、調査担当としてS津さんと2人、相談役として私。
という内容の体制図だ。
「これから定期的にこのライブラリの機能についての勉強会を開催して、
時間があったら一緒に機能改修もしてみて、
そうやって、ライブラリの知見を引き継いでいこうと思います。
いきなり2人に、はい、お願い、てことにはしません」
2人とも業務を抱えた身だ。
勉強会への参加だって、毎回は難しいだろう。
私がいなくなった後に、そんな彼らが、よくわからないままに、
なし崩し的にこのライブラリの面倒を引き受けるようになることだけは避けたい。
「直接の問合せ対応はまずS津さんがして、私は3人からの相談にだけ応じます。
ライブラリについての知見が溜まっていって、大丈夫かな、と思えるようになったなら、少しずつ問い合わせ対応をしていってもらえればと思います」
もしも引き継ぎが順調に行かなかったとしても、
困るのはS津さんだけだ。
この体制図をこの場で出されたらば、
この一年で、S津さんは責任を持って引継ぎを推進するだろう。
この状況に対して責任のある人に、きちんと責任を手渡すのだ。
そして。
「このやり方でうまくいけば、ライブラリ担当になったからといってずっと面倒を見る必要はなく、
あなた達も同じやり方で新しい人達に引き継いでいけばいい。
そうやっていって、いつか会社の多くの人達がこのライブラリの知見を持てば、
何か問題が起こっても、いつでも誰かしらが対応できるようになって、誰にも負担のかからない形になる」
誰にも大きな負担のかからない仕組み。
それもまた、私が長年関心を抱いていることであり、理想の形なのだ。
(つづく)