"好き"と"関心"を巡る冒険 第三章 Winter-3

前回→"好き"と"関心"を巡る冒険 第三章 Winter-2 - Sato’s Diary
全話リストはコチラ



2020年3月。

プロダクトオーナーのS高さん、
デザイナーのO部さん、
テクニカルリーダーの私を中心とした、
Rシステムの大刷新プロジェクトは、順調に進んでいた。

「おそらくこういう設計にすれば、様々な拡張に耐えうるシステムになるだろう」
そう私が見込んでいた通り、
本当に様々な拡張に耐えうるシステムになっていた。

毎週の進捗確認会で、
メンバーでシステムを触りながら、わいわいあれこれと意見を言い合って、
そこで出た意見を反映したものを、また翌週の進捗会で確認しながら意見を言い合う。

そんな形で、どんどん進化していっていた。

そろそろ、想定ユーザーとなる顧客に実際に触ってもらってもいいかもしれない。
そんな話も上がり始めていた頃だった。

私は悩んでいた。

本当に良いシステムであることに。
私のこれまでのエンジニア人生の集大成とも言える程の出来であることに。
これを私が作り上げていってしまっていいのか、ということに。


5月で今期は終わる。
Rシステムを私の手が離れても大丈夫な状態――システム設計スキルのそれほどない技術者の手でも問題なく拡張開発できるようにしていける状態――に持っていくには、
あともう1年は必要となるだろう。

あと1年、この会社に留まるのかどうか。


会社の様相は相変わらずだった。
ファンドが会社を上場させるか、
あるいは、どこかに売り渡すかが決まるタイムリミットが
差し迫っていた。
とにかく見た目の売上を上げようと、
開発部がNoを唱える案件を経営陣は押し切り続けていた。

そうして開発部が突貫工事の仕事をしている裏で、
「売りになる何か真新しい技術を!」といって、
別部署では、
AI、VRなどの真新しい技術を使った開発が進められていた。

だけど、それらの部署の社員に聞けば、やはり、骨組みはガタガタの試作品レベルのものが積み重なっていっているという話だった。

新しい技術にアンテナを張ることは大事だ。
だけど、私の目には、
技術のことを何もわかっていない経営陣が、
真新しい技術にミーハーに飛びついているようにしか見えなかった。
技術に対する敬意などない、ただの売上のためのオモチャだ。


私たちが開発しているRシステムは、
会社の主流プロダクトではないことから、
経営陣の目から、ひっそり隠れて開発していた。

Rシステムは、本当に理想のシステムとなりつつあった。

デザイナーのO部さんがコンセプトレベルからのデザイン案を考え、
それを反映した実際に動くシステムを触りながら、
プロダクトオーナーのS高さんや他のメンバーたちが意見やアイデアを出し合って、軌道修正をする。

まさに理想的なシステム開発の形だった。
私が長年の試行錯誤を経て培ってきた設計スキルとプログラミングスキルによって、
しっかりしたシステムの土台と骨格が出来上がることで、
この開発の形を可能としていた。

このままいけば、まちがいなく、会社の主力プロダクトの1つになるだろう。

だからこそ、私は悩んでいた。
本当にいいのか、それで? と。

 * * *

「このままじゃ、うちの開発、駄目になるだろう」
開発部の社員たちが、どれだけ暗い顔でそう言っても
会社が変わらないのは、なぜか。

なぜ、
開発部の主力社員が辞めていっても、
開発部の役員が反対しても、
無茶な開発を押し切るのか。

その答えに、私はようやく気づいていた。

それで何とか乗り切れてきたからだ。
社員たちが乗り切らせてきたからだ。

私が200時間超えの残業で、カバーしたからだ。
どうしようもなくなっている共通ライブラリを
私が紐解いて綺麗にしているからだ。
そして今、未来のプロダクトとなるものを
私が密やかに作っているからだ。

だって、どれだけ社員が声を挙げても改善しなかったという残業問題も、
労基が入ったら、会社は動いて、あっさり改善したのだ。

私たちが何とか乗り切らせることで、
会社のやり方を応援しているのだ。
Yesと言っているのだ。

 * * *

何も方針を示さない代わりに、
社員たちが勝手にモノをつくることを良しとせずとも、目をつぶる経営陣と、
彼らの目をくぐって好き勝手な開発をする私たち。

社員を信頼していないのに、
社員が何とかしてくれることに甘える経営陣と、
不平不満を口にしながら、
ぬるま湯のような居心地から離れられない私たち。

狡さと狡さは、
相性がいい。


Rシステムは本当に素晴らしいシステムになりつつあった。
こんなシステムには、もう出会えないかもしれない。

だけど、いいのか?

技術を地道に研鑽して積み上げていくことの価値も、
ぱっと見にわからない地味な部分を作り上げていく価値も、何もわかっておらず、
真新しい技術にばかり飛びついて、
彼らの目に天才に映る一部の人間だけを特別待遇して、
あとはただの召使いのように開発者たちを扱って、
結局は技術も技術者も、ただの売上のための便利な道具としてしか見ていない経営陣の元で、
このシステムを作り上げて、会社の主力製品にしてしまって本当にいいのか?

これを作り上げたところで、彼らは技術の価値など理解しない。

「開発者たちが勝手なことをするのを、ちょっとだけ目を瞑っていれば、
たまにはいいものができるのだな」

そう思うだけだ。

 * * *

「会社は誰のものか?」

その問いを前職の時に私は抱いた。
そしてその時には、
「その組織を構成する人達のためのもの」
という答えを出していた。

だけど、今の私はまた別の答えを出している。

会社は社長のものだ。

前職のような大企業のグループ会社のサラリーマン社長ならば、
自分が打ち手を1つ間違ったところで、
社員全員が明日から露頭に迷うようなことはない。

大多数の社員はグループ内の別の会社に異動するし、
大企業ならば国からの救済措置だって、ある程度期待できる。

だけど、社員200人ばかりの中小企業の社長は、違うのだ。
自分の決断ひとつで、もしかしたら社員やその家族たちを
露頭に迷わせてしまうかもしれない、
先代が作って大きくした会社を自分が潰してしまうかもしれない、
そんな恐怖と隣り合わせの日々なのだ。


去年の秋、毎年恒例の会社主催の展示会に行った時、
社長を退いて、会長職に就いたMさんとすれ違った。
少し前と違って、どこか穏やかで楽し気な表情に見えた。

「会社の譲渡関連で結構儲けたからでしょ」
そんなことを言う社員もいるし、
まぁそれも少しはあるかな、と私も思ってる。

だけど、社長業のプレッシャーから解放されて、
ほっとした表情のようにも私には見えたのだ。

 * * *

新人研修で開発の成績が一番だったにも関わらず、
営業職に配属された新人の男の子。
日々、彼が参っていく様子に、
開発部の役員やマネージャーが、
開発部に異動させてくれるようにと掛け合っても、
「営業は最低2年やらなければ身につかないのだから、そんなわがまま聞くべきじゃない」
と言って、突っぱねたMさん。

営業の仕事を経験しておくのは大切だという考えに
私に何も異論はない。
私だって、この会社に来て、営業の人たちと身近に接して、
その仕事を垣間見て、とてもたくさんの"問い"を
自分の中に抱くことができた。

だけど、それなら、新人全員を一律に営業配属にすれば良かったのだ。

誰でも開発スキルを身につけられるわけじゃない。
土台となる開発センスは必要だし、
日々ソースコードに触れ続けていること、
泥臭い地道な積み重ねが開発者にはとても大事なのだ。

新人の彼の、
一日一日の時間が過ぎ去っていくことに対する焦燥感、
自分ほどにはプログラミングに興味のない同期が、
日々プログラミングに触れて、
自分の出来ない経験を積んでいくことに対する焦燥感を、
プログラミングは、一握りの才能ある人間だけが特別なのだと思っているMさんには
わからなかっただろうか。

それとも、
大好きな営業の仕事を軽んじられたような気がして、
ムキになったのだろうか。


他人に向ける"べき"は、
自分に向けている"べき"なのだ、
と私はこの会社に来て気がついた。

後輩は育てるべき、
仕事は最後までやり遂げるべき、
嫌なことも我慢してやり遂げるべきetc..

前職の私は、そんな"べき"まみれだった。

だけど、この会社に来て、
やりたいことばかりで、
それが周りにも喜ばれて、
やる"べき"ことをやっている時間なんかなくなった時、
他人に"べき"を向けなくなった自分がいて、
そうして、気がついた。

あぁ、私が他人に向けていた"べき"は、
自分に向けていた"べき"だったのだと。

自分が苦しいから、他人にも"べき"を押し付けていたのだと。


トップなのに、開発の方針に関しては、
あれするな、これするな、天才プログラマーに任せろ、
その一点張りで、
それ以外は、よしなにやり遂げてくれ、とノープラン丸投げで、
オフレコの場でだけ好き勝手な個人的要望を、無関係な社員に語り散らかすMさんだったけれど、
営業戦略については経営会議で楽し気に語っているという話を耳にした。

社長になる前のMさんを私は知らないけれど、
過去の掲示板のやり取りからは、
営業職にも関わらず開発関連の本も読んだりして、
それなりに開発部の人達からも親しまれていたような様子が
窺えた。

「社長業はやっぱり合わないわ。営業に戻るわ」
もしも、そう気軽に言うことが許されていたならば、
Mさんはどうしていただろうか。


結局、新人の彼は辞めていった。
辞める時、
「自分が何をしたいのか、きちんとわかっていなかったんです」
そう彼は言っていた。

うまくいかない苦しみの中で、
自分自身に何度も問いかける時、
自分の本当に"大切なもの"が見えてくる。

きっと彼は、この先の道を、
何度も自分に問いかけながら、
きちんと踏みしめていくことでしょう。


彼の願いを聞き入れて、恩を売っておけば、
きっと会社のために尽くしてくれただろうに。馬鹿ね。

 * * *

「きちんとした会社にしたいから」

上場の目的を社員から尋ねられても、ただそれしか言わなかったMさん。
証券会社に上場を断られても、
きちんとした会社にしたい、ただその一点張りでファンドに会社を売ったMさん。

上場しなくたって、きちんとした会社にすることはできるじゃないか。
自分たちの力で、きちんとした会社にしていけば、いいじゃないか。

私は、そう思い続けてきた。

だけど。

何か問題が起こった時に、
"きちんとした会社"でないことを顧客に責められたこともあったろう。
上場企業でないことで、悔しい想いをしたことも、きっとたくさんあっただろう。
トップとして、きっと何度も屈辱的に頭を下げたことだろう。

「Mさんは頭を下げてくれる」
営業の人たちがそう口にするのを、
私は何度も聞いている。


入社早々には残業200時間したけれど、
労基が入ったこともあって、
その後は、そんな事態はなく、年休も当たり前に消化して
毎年、1週間の長旅に出てきた。

Mさんの望む、
"きちんとした会社"になっていっているからだろう。

管理系の部署に、大企業から転職してきた新しいマネージャーたちが入って来て、
これまで気軽にフラットに相談しに行っていたのが、
「上長を介してください」
「ご意見がありましたら我々が承りますので、勝手なことはされないでください」
みたいになって、
なんだかどんどん城壁が積み上げられていっている感じがするのも、
"きちんとした会社"になっていっているからだろう。

Mさんが、たくさんのプレッシャーと引き換えに望んだ、
一番の願いだったからだ。

それを、Mさんにぶら下がっているだけの、
お気楽な一般社員が責めることなんて、できない。


だけど。

それは、私にとっては、価値じゃない。

私は、きちんとなんかしていなくって、
会社中をフラットに人が行き交っていて、気軽に相談しに行きあって、
「部下にしてください」って言ったら、二言返事で異動させてもらえて、
自分たちの問題を自分たちで解決して、
誰かひとりのスーパー技術者に依存するのではなく、
自分たちらしさのあるものを作ろうと、
自分たちのこだわりをそれぞれの口で語り合って、
好奇心旺盛にあれこれ情報交換しあいながら、
自分たちのスキルを磨き合い、
たとえ地味でも、誰かの役に立つものを世の中に送り出せることに胸をときめかせる、
そんな場所が好きなのだ。

それが私にとっての価値ある場所、時間なのだ。


 * * *

私にとって、自分が作るシステムは子供のようだ。
そして、Rシステムは、
私のこれまでのエンジニア人生の集大成といえる代物だった。

きちんと自分の手で巣立たせたい。

だけど。
それでは駄目なのだ。

私が価値だと思うものを価値だと叫ぶには、
それでは駄目なのだ。

私の力を、これ以上、この場所に注いではいけない。
私は私の狡さを捨てて、
私の身でもってNoを言わなければいけない。

私は私の力を、時間を、私が価値だと思うもののために使うのだ。


2020年4月。
私はS津さんとS高さんに、8月末で退職する旨を伝えた。


(つづく)

次の話→"好き"と"関心"を巡る冒険 第三章 Winter-4 - Sato’s Diary
全話リストはコチラ