"好き"と"関心"を巡る冒険 第三章 Summer-7

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2018年。

『株式会社Sato』のアイデアを得て、
"どうやったら、運用資金(心の栄養)を安定して手に入れられるか"
を考え始めた私だったが、
破産の危機に陥る日々は相変わらず続いていた。

K案件から逃れた私は、S高さんがリーダーを務めるプロジェクトで
開発担当をしていた。
ようやくの技術系の仕事である。

しかし、である。

この会社の開発部は、
開発部の社員数よりも多い、短納期の小さな開発案件を抱えており、
そのため、多くの開発は、
1~3人くらいの人数で、時に派遣さんの力を借りつつ、
一気にがーっと作りこなしていくような形で行われていた。
このため、開発の統制を取ったり、レビューをしたり、
という習慣がほとんどなかった。

そうして、
「とりあえず目先のリリースさえ乗り切ればよし」
なことをやり続けてきたために、
保守性の悪いソースコードが積み重なって、
メンテナンスコストがひたすら肥大化している状態だった。

私は、こういった状況を少しずつでも改善していこうと、
自分の関わる案件に関しては、
メンバーの作るものを、きちんとレビューしていこうとした。

が。

「時間ないから一気に作るぜ!」と、
派遣さんが一気に投入される。
 ↓
彼らのレビューに追われる。
誰もきちんと課題や進捗の管理をしていないので、
何ならそれらの管理も始める。
 ↓
自分がコーディングしている余裕などなくなる。
 ↓
ひたすらレビュー、管理、レビュー、管理・・・。

・・・・・。

(これじゃ、新規プロダクト開発の時と同じ状況じゃないか!)

いつまでたっても変わらない自分の状況に、
私は突っ伏した。


「他の人間のことは見て見ぬ振りして自分も作っちゃえばいいのに、あなたはそれができないんだねぇ」
もう無理っ、と泣き出す私を見て、
Sっ気のあるS高さんが、愉快そうに笑いながらそう言った。

できるか!

 * * *

「技術部はいつでもSatoさんを歓迎しますよ~」
「技術部、人足りてないんで、どうですか!?」

いつまでたってもコーディングが出来ない…
と嘆く私に、技術部のT田さんとI塚さんが言った。

私が一年前に開発リーダーを務めた新規プロダクトの面倒は、
現在、技術部でI塚さんが主体となって見てくれている。
新規プロダクトを、自分の中で全く合格点の出せていない状態のままで
彼に託してしまっていることに、私は罪悪感を感じていた。

一年前、プロジェクトを締める時、
私がそのまま、新規プロダクトの面倒を見続ける、という選択肢もあった。
だけど、あの時、このままの延長で私が面倒を見ると、
結局、自分が管理作業を続けていく羽目に陥るだけのように思えて、
私はいったん、新規プロダクトから離れることにしたのだ。

あれから一年経って、I塚さん中心の体制が組まれているのだから、
今ならば、技術部に行けば、一年前とは違う形で私は開発に関われるかもしれない。

だけど、この頃の私には、
彼らのお誘いを受けるわけにはいかない理由ができていた。

ある共通ライブラリの面倒を見ていたのだ。


それは全社的に使用されているライブラリで、
各プロダクトにも組み込まれているものだった。

一年前、O島さんの元を離れる直前に携わった案件の中で、
そのライブラリに色々と問題のあることに気づいた私は、
テクニカルミーティングで問題提起を行った。
その発表を受けて問題意識を感じた
開発部マネージャーのS津さんから声が掛かり、
現在、そのライブラリを技術部から引き取って、
仕事の合間に、そのライブラリの問題解消のための作業を行っていた。

問題の経緯を紐解いていく中でわかったのは、
そのライブラリは、元々は開発部のいちメンバーが作ったもので、
社員の離職にともなって担当者が変わっていくうちに、
設計書も、ろくな引継ぎもないままに、
なし崩し的に技術部が面倒を見る羽目に陥っていたということだった。

私がライブラリ内部に潜む問題に気づく以前から、
細々した問題には、社員の多くが気づいていた。
だけど、
「技術部が面倒みてくれるはずだから」
「いつまでたっても技術部が直してくれない」
そういう声を出すだけで終わってしまっていたのだ。

社員200人くらいの、さして大きくない会社だ。
なのに、そんな中で、部署間で押し付け合って、
局所最適化に陥っているのだ。

大きくない会社だからこそ、
人員に余裕のない会社だからこそ、
部署間の壁なんていうオーバーヘッドは極力排して、
社員が有機的に動いて、問題を解決していくことが大事だと私は考えていた。

だから、私は、問題提起して、
共通ライブラリを自ら引き取って解決していくことで、
それを示そうと考えていた。

もしも今、私が技術部にこの共通ライブラリを持って異動してしまったら、
社員たちは
「あぁ、やっぱり技術部で面倒をみてくれるのね」
となるだろう。

それじゃ、駄目なのだ。

だから、新規プロダクトのことは気になっていたが、
私はT田さんやI塚さんからのお誘いを
頑なに断り続けた。

 * * *

6月になると、S高さんが昇格してマネージャーとなり、
伴って、私はS高グループに配属となった。

S高さんは、メンバーを乗せるのがうまいタイプで、
「ここが何でこういう動きになっちゃうのか、調べてくれない?」
「ちょっと、○○って技術のことを調査してくれない?
 ついでに、その技術使って、何か試しに作ってみてよ」
そんな感じに、私が好きそうなネタを、
ちょびちょびと餌のようにくれる人だった。

私はメインの仕事の合間にS高さんから与えられた、それらのネタをやって、
若干のエネルギー補給をすることで、
辛うじて運用資金(心の栄養)の枯渇から逃れていた。

だけどそれは、狭い水槽の中に閉じ込められて、
時たま与えられる餌で何とか生き延びているような窮屈な状態で、
私は呼吸困難寸前だった。

私は、自由に動き回って、
自分の目に映る、この会社の技術的問題を解決していきたかった。
私だからこそ役に立つだろうことが、
社内にいっぱいあるはずなのだ。


ひとくちにエンジニアと言っても、得意領域はさまざまにあり、
私の得意とする領域はシステムアーキテクトという領域だった。
建築にたとえるなら、家の土台や骨組みの設計部分だ。

中長期的に風雨に耐えたり、
後からの間取り変更や拡張がしやすい骨組みを作ること。
建築にたとえるとそんな感じのところが、私の得意分野だった。

膨大な短納期案件を抱えていることや、
営業の発言力の強い会社であることから、
以前も書いたが、この会社の開発者たちは、
家にたとえるなら、突貫でも何とかそれなりに仕上げることとか、
電装系の見た目に派手でわかりやすいところの領域が得意な人が多かった。

代わりに、骨組みがガタガタだった。
不安定な骨組みの上に、つぎはぎで増改築を繰り返していくから、
開発を繰り返していくほどに、開発工数が増えたり、
品質悪化の危険性が増していく状態だった。

だから、私が開発部や技術部の垣根を越えて社内を自由に歩き回って、
各システムたちのガタガタな骨組みを修復していけば、
全社的に色々ハッピーになるはずだった。

だけど私は現在、S高グループのメンバーであり、
S高グループで建築中の一軒家の現場監督みたいなことを
ひたすらひたすら毎日するしかないのだ。

こうしている間にも、あっちでガタガタの家、そっちでガタガタの家が
建てられていっているだろうことがわかっているのに、
時折与えられるオモチャで気を紛らわせながら、
目の前の家の現場監督をするしかないのだ。

それが私には耐えられなかった。

 * * *

8月のある火曜日の朝。

(この会社で『株式会社Sato』がやっていくのは、やっぱり無理なんだろうか…。
 もう転職するしかないんだろうか…)

私は自席でうなだれていた。

こうして、しょっちゅう精神的撃沈をしているけれど、
S高グループ内で、一応それなりに役に立っている自負はある。
私が辞めたら痛手だろう。
だけど、私がいなくなったらいなくなったで、S高さんだって何とかするのだ。

(いなくなったらいなくなったで、何とかする……)

その時。

唐突に私の頭の中で、
全てを解決する夢のようなアイデア
閃光のごとくひらめいた。

――――!

S高さんの席を眺めやる。空席だ。
彼は今日一日、社外に出張だ。

にやっと私は笑い、メッセンジャーを起動して、
軽快なリズムでキーボードを叩き始める。
そうして、現在は開発部チーフマネージャーとなっているS津さんに宛てて
メッセージを送った。

『すみません、ちょっとご相談したいことがあるのですが、
 本日お時間いただけるでしょうか?』


(つづく)


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