(前回のあらすじ)
社員のコミュニケーション施策として実施した、
全社ボウリング大会は、大盛況のうちに幕を閉じた。
前回→"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 中編 vol.11 - Sato’s Diary
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ボウリング大会の前後から、
社内の空気が明らかに変わっていくのが感じられた。
2011年10月。
ボウリング大会後初めての、1泊2日の社員討議合宿。
恒例になりつつあるES行事だったけど、
ES活動を推進しているU常務以外の経営層は、
それまで、この合宿に参加はしても、懐疑的または日和見的な様子だった。
経営層といっても、普通に会社員としての出世の延長で
会社合併を契機に、その立場になっただけであり、
またいつ会社が分離したり、新たな合併をしたりするかわからない。
ハード部署の社員たちは、自律的で、全社活動にも肯定的な姿勢ではあったが、
そういう大企業グループという大きな海の中を、
自分たちではコントロールできない海の中を、たゆたうように泳いでいる彼らは、
経営層から一般社員に至るまで、自分たちが今いる会社に対して、
どこか他人事のような、仮初めの場所のような、
そんな感覚を抱いているように見えた。
だけど、この時の合宿で、経営層の彼らは明らかに
この討議合宿に意義を認めて、自ら加わり始めたのだ。
仮初めの場所だった会社に対して、『自分たちの会社』という感覚を抱いて、
その『自分たちの会社』を何とかしていこうという意志を抱いたのだということが、
この時、ES委員会の私たちの目に、明らかに映ったのだ。
帰りの新幹線の中で、ES委員会のメンバーたちは、
彼らの明らかな変化に喜び祝して、ビールで乾杯した。
そうして私自身も、合併以来――もしかしたら、入社以来ずっと、
『自分の会社』と思えなかった会社が、『自分の会社』と思えて、
それを良くしていこうと今、力を注いでいけている、
そのことが、とても嬉しく、幸せだった。
* * *
「経営層の人たちはね、いつも社員から責められるばかりで辛いのよ。
だから、Satoちゃんが明るく楽しく、『会社を良くしたいんです!』って
頑張っている姿が、あの人たちの励みになるのよ」
ある時、そんなことをコンサルのM川さんが私に囁いた。
「真面目な課題についての経営層へのアプローチは、
U常務や私たちがちゃんとやるから、
Satoちゃんは『明るく楽しく』の方の担当をお願い」
そう言われた。
サンドイッチ作戦だ。
「そういうことなら、任せてください」
私は笑顔で応えた。
若手の一般社員の自分だからこそ担える役割だ。
* * *
ボウリング大会終了に伴い、コミュニケーションWGは解散し、
そのしばらく後に、今度は「社員名鑑Wikiを作ろう!」と思い立ち、
私はウィキWGを立ち上げた。
合併によって一緒になったけれど、ほとんどの社員が社外に常駐している
私たちの会社は、廊下ですれ違っても、
同じ会社の人なのか、協力会社の人なのか、
ストラップの色を見ない限りはわからないような状態だった。
「『これが私たちの会社の人たち!』というのがわかるものが欲しい」
そう思ったのだ。
コミュニケーションWGの時には苦戦したメンバー集めも、
この時には、ソフトウェア部署側、ハード部署側双方から、
すぐに手が挙がった。
「こういうのって、作っても使われなかったり、
形骸化しちゃうのが課題だよね」
WGの初回打合せで、一番の課題となるだろうことをメンバーで共有して、
それをクリアするためにどうしていこうか、
毎回みんなでアイデアを出し合った。
「絶対に使われるものにするためには、コンテンツが充実している必要があるよね。
ページ開いて、中身がすかすかだったら、
そこで自分はもう他のページを見ないでWikiを閉じる」
→じゃあ、社員の7割のページが、写真付で登録されることを目標値に設定しよう!
「各社員に自分たちのページを作ってもらうために、
ページ作成の心理的敷居をどうやって下げようか?」
→じゃあ、作りやすいように、テンプレートを用意しよう!
あと、「楽しく簡単に作れますよ!」って、アピールするために
今度の全社会で小芝居を打ってみよう!
そんな風に、WGメンバーでアイデアを出し合っていった。
「新入社員のページがあったら、絶対みんな見るよね?
新人さんに自分たちのページ作ってもらえないかなぁ」
誰かがそう言うと、
「あ、ちょうど今、新人研修プログラム作ってるんで、
たぶんその中にそういう時間を入れられると思います」
人事部に所属するメンバーが言う。
Wikiシステムを公開して、少しした頃、
「やっぱりみんな、写真をなかなか載せてくれないよね…」
予想していたことだが、どうしようかと話し合う。
「心理的に写真を上げたくないっていうなら仕方ないけど、
大抵の人は面倒くさいだけだよね?」
「もういっそ私たちの方で写真を撮って、本人許可の上で載せちゃう?」
「でも、ほとんどの社員は常駐先にいるのに、どうやって写真撮る?」
う~ん…とみんなで考えていると、
「…そういえば、もうすぐ健康診断ありますよね?」
誰かが言った。
それだ!
健康診断は本社ビルで行われるので、多くの社員がその日は本社に来るのだ。
私たちは、すんごい立派なカメラ機材を持っている社員をカメラマンにスカウトし、
健康診断の日、健康診断受付の横に撮影スペースを設営し、
やってくる社員たちを待ち構えた。
多くの社員たちは、彼らを待ち構えている私たちの姿を見ると笑い出した。
そうして笑いながら、写真撮影に快く応じてくれた。
こんな風に、みんなの知恵と悪戯心を混じらせながら、
課題を解決していくのは、なんて楽しいんだろう。
こういうの、好きだな。
そう思った。
* * *
2012年4月。
「そろそろまたボウリング大会の企画したいわね。
でも、こういうのって毎回同じ人達がやっていると継続しなくなるから、
持続可能な仕組みを考えた方がいいわ」
コンサルのM川さんが言った。
いつのまにか、あのボウリング大会から1年が経とうとしていた。
「いい考えがあります」
私は、にやっと笑って、
昨年の新人さん――現在は2年目となっている、ある社員の席へ向かった。
「お疲れさま。今、話しても大丈夫? ちょっとお願いがあるんだけど…」
にこっと笑って、彼女の横の空いてる席に座る。
「お疲れ様です。何でしょう?」
2年目の彼女は笑顔で挨拶を返してくれた後、
普段接点のない私がやってきたことに、不思議そうに首を傾げた。
そんな彼女に私は、にこっと悪戯っ子の笑みを浮かべて言った。
「昨年のボウリング大会のアンケートで、
『もしも私にできることがあったら、お手伝いしますので言ってください』
って書いてくれてたよね?」
彼女は、昨年のボウリング大会後のアンケートに、
『こんな風に歓迎してもらえて感激しました。
もしもこの先自分にできることがあったら手伝いますので、
何でも言ってください!』
と書いてくれていたのだ。
去年それを読んだ時、私は、内心にやっとして、しっかり心に留めていた。
「何でもやってくれるっていうことなので、
今年のボウリング大会、あなたたちの代で、ぜひやってみてもらえないかな?
目的さえ達成してくれれば、
具体的に何をするかも、予算をどう使うかも、全部お任せするから」
そう言って、
社員たちにコミュニケーションの価値を実感してもらうことが
新人歓迎ボウリング大会の裏目的であることと、予算の額を告げた。
「昔は会社に余裕があったし、世の中ももっと緩かったから、
若手も結構大きな仕事を任せてもらえて若手が育つ土壌になったけど、
最近は失敗の許されない雰囲気になってきたせいで、
若手が大きな仕事を任されなくなって育たなくなっている」
そんな話を、以前にコミュニケーションWGで課長のK池さんが話していたのだ。
ボウリング大会の予算は、若手にしてみたら結構な金額だ。
そして、ちょっとくらい失敗したって問題ない。
若手に大きな仕事を経験させることと、
持続可能な形での社員交流イベント実施の一石二鳥作戦。
こうして、無茶ぶりの全お任せされた2年目社員による、
第2回新人歓迎ボウリング大会は、
私の期待を大きく上回る、彼女らの頑張りと粘りとチーム力により、
前回よりも盛大となって、
しかも、次年度への引継ぎのための丁寧な資料まで残してくれる形で、
大盛況のうちに幕を閉じた。
こんな風に、社内を歩き回りながら、
こっちの問題とあっちの問題をうまく組み合わせた解決策を考えること。
社内を全体最適していくこと。
それへの関心が私の中に芽生えたのは、この頃だった。
* * *
2012年春。
恒例の討議合宿で、会社の強みを挙げるワークをしていた時に、
私がファシリテーターを務めていたグループにいた後輩が、
「これ、Satoさんのことなんですけど…」
と言って、ポストイットを出した。
そこには、
『本気で会社を変えようとしている一般社員がいる』
と書かれていた。
「一般社員でも会社を変えられるって信じて動いていて、
一般社員でも会社を変えられるんだ!ってことを見せてくれて、
それは、うちの会社の強みだと思います」
そう彼女は言った。
彼女はソフトウェア部署出身の社員で、
1年半前、私が討議合宿に誘った時には、さくっと断られていた。
その彼女が、今回は参加してくれたことに、
(会社の雰囲気もだいぶ変わってきたなぁ、よかった、よかった)
くらいに思っていた。
まさか彼女の目に、自分がそんな風に映っているとは全く思ってもおらず、
彼女の言葉に私はびっくりした。
私の担当は『明るく楽しく』の部分だったから、
「Satoさんは最近何か楽しそうなことやってるねぇ」
「彼女はちょっと変わってるからね」
「きっと今、仕事が暇なんじゃない?」
きっとそんな風にソフトウェア部署の社員たちからは見られているんだろうな~、
くらいに思っていたのだ。
4年前、会社を辞めるのを踏みとどまって、「90周走る!」と決めて走ってきた。
90周走れば、そのうちの1周を一緒に走ってくれる人は必ずいる。
そう信じて、走ってきた。
だけど、実際に彼女の言葉を聞いた時、まず湧きあがったのは驚きだった。
「本当に走ってくれるんだ?
ていうか、まだ15周くらいなんだけど、もう走ってくれる人いるんだ!?」
そうして、驚きの後、じんわりと嬉しさがこみ上げた。
* * *
2011年から2013年春まで。
私はこんな風に社内を駆け回っていた。
周囲の人々からは、私の武器は笑顔と元気だと言われ、
それを武器に走っていた。
成長の階段を一気に駆け上がって、
自分に見える景色がどこまでも広がって、
自分の可能性がどこまでも開けていくような、
そんな日々だった。
・・・とはいえ。
そうは言っても人間、
晴れの日もあれば、雨の日もあるのである。
(後編へつづく)