“好き”は仕事にできるのか? vol.1

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システムエンジニアです。プログラミングは小学生の頃からやってました」
と言うと、
趣味が高じてそのまま今の仕事に辿り着いたのね、
とよく思われるのだけれど、
自分自身の感覚としては、そういう一直線なものではなかったので、
そう思われることに若干もやっとすることがある。

私にとってプログラミングが、
「断続的に長年継続している趣味」であることは事実だけど、
プログラミングが好きか? と聞かれると、
う~ん…となる。
世の中には超絶プログラミングオタクな人々がいるのに、
自分のレベルで「好き」と言っていいのだろうか? と思うし、
仮にこの世の中からプログラミングというものがなくなっても、
禁断症状とか発しなさそうだし。

「各人の”好き”を活かすのが、最終的な全体最適解」
という確信を長年私は抱いていて、
少なくとも自分自身に関しては、
自身の”好き”を突き詰めていく方向に舵を切れていると思うのだけど、
じゃあ、ここで言う”好き”とは一体何なのか?

一言で言語化できないので、
私自身の「”仕事”と”好き”の関係の道のり」を綴ってみようと思う。

最初の具体的な職業希望

幼稚園の頃は、「将来の夢は?」と聞かれたら、
幼稚園児が具体的な将来の夢なんて抱いているわけないだろう、と思いつつも、
「ケーキ屋さん!ケーキを食べれるから」
と、とりあえずテンプレ回答を返しつつ、
(売り物を食べれるわけないじゃん…)
と内心思っている子供だった。

小学校に上がると、『まんが世界の偉人シリーズ』を読んで、
「自分も将来、こういう漫画に主人公として描いてもらいたい」
という望外な野望を抱き、
でも、ヘレンケラーは無理だし、
習っていたピアノもあまり振るわなかったのでモーツァルトも無理だし、
運動音痴だからベーブルースも無理だし、
じゃあ、勉強の成績は良かったから、シュバイツァーならなれるだろうか、と考え、
「将来はお医者さん!」
と言っていた。

ちなみに、なぜ『まんが世界の偉人シリーズ』に描いてもらいたい、
と思ったかというと、
『まんが世界の偉人シリーズ』の主人公たちは大体が幼少時代のストーリーの中で、
「周りからは理解されなかったが、
 彼(彼女)は内面では色々なことを考えていたのだ…」
的なモノローグが描かれており、
とかく大人たちから「わがままなさとちゃん」と言われていた当時の私は、
「『まんが世界の偉人シリーズ』に描いてもらえれば、
 『周りからはわがままだと言われていたが、
  彼女は内面では色々なことを考えていたのだ…』
 というモノローグを入れてもらえるに違いない!」
と考えたという、まぁ、よこしまな気持ちからである。
そもそもシュバイツァーが偉人として取り上げられたのは、
単に医者だったからではない、
というところを読み取れてないあたりが、小学生である。

小学校高学年になると、自分がメカニック系の職業に惹かれることを自覚し始めた。
アニメを観ていて、登場人物が飛行機やロボット、宇宙船などを作ったり、
メンテしたりしているシーンが映ると、
「良いなぁ、格好いいなぁ」と、ドキドキ、わくわくしていた。
とはいえ、それを具体的な職業に紐づけて考えることはなかった。
小学校の卒業アルバムの将来の夢には、
ドラえもんを作る!」
と書いていて、それは、その後の進路や現在の関心に照らしてみても、
嘘ではないのだけど、
「夢=職業」という感覚ではなかった。

そんなわけで、初めて具体的な職業を意識したのは、
高校1年の頃の「ゲームプログラマー」だったと思う。
遡ること小学生の頃、ドラクエ3が発売されて、巷でドラクエブームが起こり、
関連グッズが色々発売された。
その中に、「メイキング・オブ・ドラクエ」という漫画があり、
それを読んだ当時の私は、
仲間が集って1つのゲームを作り上げることや、
ラストシーンで、すぎやまこういちさんが電話越しにロトのテーマをピアノで奏でて、
開発者たちがそれを聴きながら充足感と共に休息するシーンに胸を熱くした。
ちょうどその頃、プログラミングをかじり始めていたこともあり、
「自分もいつか、こんな風に仲間と一緒に1つのゲームを作り上げてみたい」
と思ったのをよく覚えている。

そして高校1年の時、あるゲーム雑誌で「ゲームプログラマーになろう」みたいな
特集が組まれて、専門学校やら何やらの紹介がされているのを読んで、
自分がやりたいと思っていたことと、具体的な職業が現実的に繋がる感覚を受けた。

だけど、その後、以下の3つの理由から、その選択肢は自分の中から消えた。

その1)プレステなどの次世代ゲーム機が台頭し、美麗なグラフィックのゲームが主流となっていった。

その頃、プレステが台頭してきて
「これからは3次元の美麗なグラフィカルのゲームだぜ!」なムードに
ゲーム界隈がなってきた。
だけど、ファミコンスーファミゲームボーイの素朴なゲームが好きだった私は、
自分のやりたいこと、作りたいものと、なんか方向性が違ってきたな、と感じた。
(ただ、その後に、ゲームボーイポケモンがヒットして、
 自分の見切りは早かったかな、と思ったりもしたのだけど)

その2)パソコン通信で知り合った社会人の方から、「趣味は仕事にしない方がいい」と言われた。

中学生の頃からパソコン通信をやっていて、そこで知り合った人たちとオフ会で
リアルに会うことがたまにあった。
その頃は中高生でパソコン通信をやっている人はまだ少なく、
7割が社会人、3割が大学生、みたいな構成だった。
ある時のオフ会で「ゲームプログラマーになろうかと考えてる」みたいなことを
言ったら、社会人の方に「趣味は仕事にしない方がいい」と言われた。
「趣味を仕事にすると、辛くなった時に逃げ場がないよ」と。
そう言われて、「なるほど、そういうものなのか」と思った。

その3)高校の部活動で、「みんなで1つのゲームを作り上げる」ということを実現してしまった。

たぶん、これが一番大きいと思う。
高校の部活で、やりたいと思っていたことを実現しちゃったのだ。

所属していたパソコン部では、例年文化祭に部員が作ったゲームなどを
展示するのだけど、2,3年次にはプログラミングをする人間がなぜか私しかおらず、
それならば、と
「みんなで1つのゲームを作ろうよ!」
と声を掛けたら、できちゃったのだ。

絵を描くのが好きな人がイラスト担当、
音楽作成が好きな人がBGM担当、  
小説書きたいからワープロ打ちを覚えたい、と言って入部した部員がシナリオ担当、
そして、ベースとなるシステムを私が作る、
という方式で。

夢見ていた土壇場の追い込みも、文化祭当日に、
「ここがまだできてない~!」
「このシナリオができたから、こっそり差し替えて!」
みたいな感じで実現できた。
出来なかったことと言えば、
「泊まり込みで徹夜作業して、雑魚寝して朝を迎える」
ということくらいで。(高校生なので)

その他にも、やってみたい!と思ったことは、
やろうよ!と言ったら、何でも実現できちゃったものだから、
高校を卒業する頃には、
「やりたいと思ったことは、ほぼ全てやり尽くしました」感な状態で。


内部進学だったので、高校3年の時に希望の学部学科を提出するのだけど、
「1年後の自分が何に興味を持っているのかもわからないのに、
 この後の4年間の自分を縛る行為なんてしたくない!」
と、むきーっとなったのを覚えている。

出会いや行動によって、自身の「やりたいこと」というのは、
変化していくのだということを、この時には理解していたのだな、と振り返って思う。

結局、進路希望は、
「今この時点の自分が興味を持っていることをひとまず選ぶ。
 だけど、これはこの先の自分を縛るものではない。
 別のものに興味関心が移ったら、そっちに行っていいよ」
と自分自身に言い聞かせて、機械工学科を第1希望にして提出した。

ドラえもんは、まだ作れていなかったので。


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