after 10 years

知人が主催している異文化イベント(オンライン)で
『新卒で入社した会社が合併して、
 合併先の部署に異動したら完全異文化だった』ネタを話すことになり、
その頃のことをパワポに起こしていたら、
そうか、あれはもう10年も前のことなのだなぁ、と気づく。


合併した先の部署に一人飛び込んでみたら、
そこはX軸とY軸が逆転したような全く異文化な部署で、
「私、いつかこれをネタに異文化比較論を書くわ」
と、そういえば隣りの席のくっしーに言ってたなぁ、と思い出したら、
その時のお台場19階の景色やら蛍光灯の明かりやらまでが、
まざまざと蘇った。

* * *

異動後、会社内に存在する見えない壁をぶち壊すために
色々と取り組んだエピソードについては、
たまに知り合いに話すことはあったのだけど、
三者にきちんと説明するために整理してみると、
思い出話として話すのとはまた違う気づきがある。

当時、色々な立場の人と一緒に活動していたのだけど、
今の自分は、あの頃の自分よりも、
幹部社員だった人と近しい目線にあるなぁ、とか。
(年取ったのかなぁ(笑))

当事者として渦中にいると繋がっていることが感覚的にわかる事柄を
三者の人には、どうやって繋がっていると説明すればいいのだろう…、
と考えていたら、
当時お世話になっていたコンサルのMさんが言っていたことを
唐突に思い出して、
「そうか、あれはこれを言語化していたのか」
と気づいたり。

当時の写真を見返していたら、
「あぁ、そうか。そういうことなんだよな」
と改めて気づくことがあったり。


10年。
改めてきちんと振り返るのに、ちょうど良い熟成期間なんだろう。

* * *

ところで。
8月末に、6年間勤めていた2社目の会社を退職しました。
人生はフレキシブルなので、またこれから先どうなるかわからないけれど、
ひとまずフリーランスでやっていこうと思ってます。
(なぜ今になって書いてるかと言えば、先日、両親に白状したからw
 ↑このブログは母と母の知人が見てる)


10年前の私を知っている人は、
「あんなに会社のために頑張っていた人間がなぜ?
 次の会社でうまく行かなくて、やさぐれたか?」
と思うかもしれない(笑)

でも、そういうわけでは決してなく、
あの時の私と今の私は真っ直ぐに続いていて、
今回の選択があるのだなぁ、と、
今回色々整理してみて、改めて思う。

あの頃の私は、
部分最適に陥っている部署の壁を壊して全体最適したくて、
部署の壁を飛び越えて会社の中を走っていた。
そうして今、
部分最適に陥っている「会社」という枠が邪魔になって
そこを飛び出した。

「私がなりたい職業があるとするなら、それは『Sato』という職業です」
他の人間にもできるかもしれないけれど、
私だからこそ誰よりも楽しめて、誰よりもクオリティを出せること。
それを生業とする人間になりたい。

そんなことを10年前、コンサルのTさんに飲み会の席で話したら、
「良いセンスだねぇ」
とダンディな笑顔で返されたのを、これまた思い出す。

* * *

パワポを書きながら、
「10年前の活動は結局、失敗だったのか? 成功だったのか?」
と、途中、腕を組んで考えた。
そして、成功も失敗もないな、と結論した。

目指すところに辿り着けなかった、という意味では失敗だ。
だけど、次の一歩に繋がる得難い気づきを得た、という意味では成功だ。
私のここまでの道は、
全てが失敗だったとも言えるし、
全てが成功だったとも言える。

『失敗や不運が災いとなるか恵みとなるかは、その人の反応次第である』
6年前に会社を辞めるときに、本好きのOさんがナポレオン・ヒルの言葉をくれた。
いつのまにか、その言葉が血肉となって、
「その通りだよね!」と逞しく言える自分が今ここにいる。

* * *

ちなみに、私が2社目の話をろくに書かないのは、
単に、しんみりした思い出がないからなだけで、
相変わらずの、喜怒哀楽に満ちた6年間でした。

「部署の枠とか邪魔なので、
 どこの部署にも属さないで自由に動けるポジションにしてください」
というお願いを火曜の夕方にしたら、木曜には辞令を出してくれたのが、
一番うれしかった思い出。

そうして2年間社内フリーランスをやってみた結果、
「うん、会社の枠が邪魔だな」
と思い至って、今に至る。