"好き"と"関心"を巡る冒険 第三章 Summer-2

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「Satoさんは技術系ってこと?」
新規プロダクト開発のプロジェクトが始まる少し前に行われた
昇級試験のプレゼン面接の時、役員の一人が首を傾げて尋ねた。

昇級試験の際に、キャリアを管理系か技術系か選んで、
それに沿った論文を書くのだが、
私は管理系のテーマで論文を書きながら、
プレゼンでは技術寄りの内容を話したのだ。

「いえ。管理系か技術系か、保留中です」
私はそう答えた。


多くのエンジニアの会社では、
エンジニアのキャリアは管理系と技術系に大きく二分される。

ほとんどの社員が管理系に進む大手SIerの前職では、
私は「技術のわかる管理系」の方向でやってきていた。
あくまで”技術がわかる”管理系だ。

それがこの会社に来て、
年齢がいってもソースコードを普通に書いている人たちが
たくさんいる環境に身を置いて、
自分がまだまだ技術力を上げていけることに気づき、
自分のキャリアイメージを、いったんリセットして考え直すことにしたのだ。

「自分はまだまだ技術力を上げていける!」
そのことに気づいた時の喜びは大きかったが、
かといって、じゃあ技術に振り切るぜ!とは思いきれなかった。

この会社に馴染んでくるにつれて、
この会社のマネジメントに関する課題も見えてきて、
そこに対して、これまで培ってきた自分の管理系スキルを
役立てられるようにも思えたし、
管理か技術か、必ずしも二極分岐しなくてもいいのではないか…
そんなことも思ったのだ。

そうして、ひとまず、
管理もコーディングもする、プレイイングリーダーとして
この新規プロダクト開発のプロジェクトを推進していこうと考えていた。

 * * *

だけど、前回書いたように、この新規プロダクト開発のプロジェクトでは、
マネージャーのO島さんとの方向性の違いから、
不毛なやり取りや降り積もる要求への対応に、エネルギーの多くが割かれていた。
120%の力を出して、やっと20%のアウトプットが出せるような、
そんな状況だった。

ソースコードなんて、一行だって書けやしなかった。


この新規プロダクトはWebシステムで、
私はこれまでにWebシステム開発の経験がほとんどなかったので、
このプロジェクトに参画することが決まった頃、
休みの日に、Webシステムのプログラミングをして、
このプロジェクトですぐに戦力として働けるように備えていた。

だけど、自身がリーダーとなり、そしてプロジェクトがこんな状況になり、
私は全くソースコードに触れる機会を持てないままだった。

メンバーの半分以上は、
私のようにプライベートでまでプログラミングすることはない人達だった。
仕事の場でだけソースコードに触れる彼らが、
どんどんと自分の得られない知識を得ていくのを
ただ横目に見ていた。

エンジニアなら休日にもプログラミングするべきだ、なんて
私は、全く思っていない。

だけど、悔しかった。

なんで、私ほどにはプログラミングに興味のない彼らが、
私が得たくて得られない知識を身に着けていって、
どうして、私が彼らに置いていかれるのか。

少しでいいから、ソースコードに触れる時間を取りたい。
実際に触れなければ、設計するにしても、
メンバーたちのソースコードをレビューするにしても、
何が最善なのか、判断ができない。

そうO島さんに掛け合ったけれど、
「そんな時間ないだろ。
 大丈夫、Satoさんならコーディングしなくても、
 ちゃんとレビューだって設計だってできる」

そう言われて終わりだった。

 * * *

年末。
このストレスフルなプロジェクトの状況について、
何とか誰かに相談しようと、
グループ外のマネージャーやリーダー層を集めた飲み会を企画した。

だけど結局、O島さんとの恒例の不毛なやり取りが終わらず、
幹事なのに出席することができず、その日の深夜、
「何を言われても、もうリーダーを降ります!」
とO島さんに完全にブチ切れた。

そのおかげで、
年が明けると、隣りの部署のS高さんが管理担当として
プロジェクトに入ってきてくれた。

S高さんは、このプロジェクトへの参入にはあまり乗り気でなかったので、
結局リーダーは私が継続したのだけど、
それでも、メンバーの状況確認やフォロー、O島さんの暴走を制止してくれて、
殺伐としていたプロジェクトの雰囲気は少し和らぎ、
私は少しほっとした。

 * * *

私の席から少し離れたところで、S高さんとメンバー達が談笑しているのが見えた。
S高さんの年齢は私の1つ上なので、まだ30代だけれど、外見年齢はだいぶ熟した雰囲気で、周りに安心感を与えるタイプの人だった。
彼自身はプログラミングをしなかったが、
開発者の作ったものを楽しげにいじって、色々フィードバックをくれる人なので、
作り手としては話していて楽しいタイプだ。

久しぶりに笑顔の戻ったメンバーたちの表情を眺めながら、
(本当は私が、あんな風にみんなを楽しく乗せて、
 プロジェクトを進めたかったんだけどな…)
そう思って、落ち込んだ。

もしも今、あのS高さんのいる場所に自分がいて、
メンバーを笑わせているのが、S高さんではなく自分だったらーー
そんな想像をした。

そこで、
私は、はたり、とした。

その自分は、何だか心の底からは笑っていないような気がしたのだ。

 * * *

「○○の機能の実装なんですけど、K田さん、やってもらえますか?」
打合せスペースで、担当未定の機能について、
私はメンバーのK田さんに実装を依頼した。
「えー、自分、もう手一杯ですよ。G藤くん、どう?やってみたら?」
K田さんが、若手のG藤さんに振る。
「えー、何言ってるんですか。K田さん、やってくださいよ~」
G藤さんが、そう返す。

私は、イラっとする。

なんで君たちは、私がやりたくてもやれないプログラミングの仕事を、
そんな風に譲り合っているのだ。
そしてなんで、そんな彼らに、
どうやったら仕事をしてもらえるだろーか、
なんてことに、私は私の時間を使っているんだ。
彼らよりもスキルも意欲もある私が。

「いやいや、G藤くん、経験のためにも…」
「え~、K田さん、何言ってるんですか~」
私の目の前で、譲り合いを続ける彼らを見ているうちに、
私の中で、ぷちり、と何かが切れた。

「……わかりました。じゃあ、私が作ります」
私は静かに言った。

その場にいた全員が、は?と私を見る。
「何を言ってるんだ? Satoさんは、モノを作ってる時間なんてないだろう!?」
O島さんが止めに入る。
「そうですよ、さすがに無理ですよ。
 Satoさん、リーダーの仕事で手一杯じゃないですか」
さっきまでG藤さんと譲り合っていたK田さんまで、いやいやそれは…と止めに入る。

けれど、
「やります。もう我慢できません。
 3日ください。ここから3日の間だけ、コーディングに専念します!」

こんな不毛な担当アサイン作業に自分の時間を使うくらいなら、私が作る。

「3日で作れる機能じゃないだろう……」
唖然とする周りの制止を振り切って、私は強行した。


そうしてそこから3日間、私はひたすらにコーディングした。

業務では、ほぼ初めてのWebシステムのプログラミングだった。
採用していた諸々の技術も、メンバーのソースコードレビューで見てはいたけれど、自身で触れるのは初めてだった。

だけど、私は久しぶりに呼吸するかのような感覚で、
ソースコードを書いていった。

(そうか、このフレームワークはこういう思想なんだな…
 あぁ、じゃあこういう設計にするのが、きっといいんだ…)

干からびたスポンジが、ぐんぐんと水を吸収するかのように、私はどんどん知識を吸収していった。

(これを実現するには、どうすればいいだろう…?
 こうかな…いや、こうかな…。
 あぁ、この間、K藤さんが言っていたのは、ここのことだったのか)

試行錯誤を経て作っていくうちに、
それまでメンバーたちがコーディングに関して報告していた話の中で、
具体的にイメージできなかったところが、わかるようになっていった。

そう。自分で実際にソースコードをたくさん書くことで、
初めてわかることがいっぱいあるのだ。

 * * *

「こんな風に作ってみました。それで、作ってるうちに、こういうパターンがあってもいいかなと思って、Bパターンも作ってみたんですけど、どっちがいいですかね??」

翌週のレビュー会。
私は嬉々として、自分の作った機能をメンバー達に見せていた。

メンバー達は、はぁ、という感じで共有モニターの画面を見ている。

(ありふれた機能だし、特に意見も出ないかな??)

様子をうかがっていると、
「う~ん、Aパターンでいいと思うけど、確かにBパターンもいいね!」
デザイナーのO部さんが反応してくれ、
「でしょ?」
私が笑って返すと、そこから他の人も意見を言い始めて、場は活発になった。

作った機能について意見をもらいながら、
私は久しぶりに笑顔になる。

その時、K藤さんが笑いを含んだ声で言った。
「Satoさん、深夜の2時にソースコードをコミットしてたでしょ?」

しまった、バレてたか。

3日でやります!
と豪語したけれど、やっぱり3日で出来上がらず、
金曜の夜にこっそり明け方までやっていたのだ。

私は顔を赤らめ、
メンバー達は笑い出す。

「まぁ、でも3日と少しでこれ作ったの、すごいね…」
誰かがつぶやき、
そう? と私は、少しドヤ顔になって、
誰かがまた笑った。

 * * *

何もかもうまくいかなくて、
リーダーとして不甲斐ないばかりで、
苦しいばかりだったこのプロジェクトで、
だからこそ、この時、私はようやく気がついた。

”自分は縁の下の力持ちの役割を担って、
 メンバーにとって居心地の良い場所を作って、
 面白いものを作りたい。
 そういう場を作れるリーダーになりたい”

ずっと、そう思っていた。


だけど、違ったのだ。

私は、私の技術でみんなを笑わせたかったのだ。

どれだけ大変な状況下でも、
それだけはできること。
せずにいられないこと。

それこそが、一番に私のやりたいことで、
私が一番に持っている力だったのだ。


私が技術に振り切ることを、ためらい続けてきた一番の理由は、
そのスタート地点が、趣味だったからだ。

「趣味は仕事にしない方がいいよ。逃げ場がなくなる」
高校生の頃、パソコン通信で知り合った大人の人達に言われ、
そういうものかもな、と思い、プログラマーを仕事の選択肢から外した。

その後、大学のバイト時代に、
チームで働くことの面白さを知り、リーダーや管理について学び始めたことが、
私にとっては仕事のスタートラインだった。

一度も苦を感じたことのないプログラミングよりも、
苦労しながら仕事の場で積み重ねてきた管理系の仕事の方が、
私にとっては、キャリアと言えるもののような気がしていたのだ。
自分にとって仕事と思い切れていないものに、振り切ることが怖かったのだ。

だけど、私が何よりもバリューを出せて、
周りの笑顔にも繋げられること。

それは技術の方だったのだ。


十年以上、積み重ねてきて、
捨てきることのできなかった管理系のキャリアをばっさり捨てて、
技術系のキャリアに振り切ることを
この時、私は決意した。

(つづく)


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