"好き"と"関心"を巡る冒険 第三章 Autumn-7

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数日後の1on1。

「えーと…、お前よりも評価の高い奴の名前を教えればいいの?」
会議室で私と向き合ったS津さんは、そう私に尋ねた。
私が、評価結果に対して何か言ってくるとは思っていなかった様子だ。

「はい、全員教えてください」
私は硬い表情で返す。

まぁいいけど…
と言って、S津さんは書類に目を落としながら、開発部社員の名前を挙げていく。

一人、二人、三人…と順々に挙げられていく名前を聞きながら、
(この人が私より上…なのか…?
 この人は……もしかしたら、上でもいいかもしれない……
 この人の仕事は、よくわからないから何ともいえないな……)

私はひとりずつの仕事っぷりを思い浮かべながら、自分と比べていく。
だけど、どの名前を聞いていっても、
あぁ、確かに私の評価は妥当だ、とは思えなかった。

S津さんの読み上げる名前は、2桁に突入した。
こんなにも私より評価の高い人間がいること自体が納得できない。

険しい顔つきの私の様子を伺いながら、
S津さんは資料に綴られた名前を読み上げていき、
そして、あ、という顔をしてから、
そっと私の顔を伺いつつ、ゆっくりとその名前を読み上げた。

あるプロジェクトのリーダーだった。
私が技術担当として彼のプロジェクトに入りながら、
リーダーとして未熟だった、その彼の仕事のフォローまでしていたことは
S津さんもよく知っている。

なんのことはない。
評価を馴らすことなく、
各マネージャー達の言い値で、評価がつけられたのだ。

次の瞬間、私は叫んでいた。

「辞めます!評価を見直してください!
 見直さないなら、会社を辞めます!」


私がそんなことを言い出すとは思わなかったのだろう。
S津さんは一瞬ひるんでから、
「お前は…自分が辞めると決めたら、評価を見直そうが何だろうが、辞める奴だろ?」
そう返してきた。

そういうことじゃない。

「もちろん、私が自分の人生のために、別の会社に行くのがいいだろう、と決めたなら、誰が何と言おうが辞めます。
 だけど、会社が、その会社に必要だと思う社員を引き留める努力をしなくていい理由にはなりません!」

この会社に来てから、私は前職のことを何度となく考えてきた。
そうして考え至っていた。

私が前職を辞めたのは、
あの会社が私を繋ぎ留める努力を怠ったからだ。

私は前職を辞めてこの会社に来たことを何も後悔していない。来て良かったと思っている。
だけど、あの会社で私は間違いなく、稀有な得難い社員だった。
あの会社はあの会社のために、何としても私を引き留めるべきだったのだ。

会社は会社のために私を引き留める。私は私の人生について考える。
引き留められて心迷って、自分の選択を誤ったとして、そんなのは私の責任だ。
会社が気にすることじゃない。

互いの人生をかけた真剣勝負なのだ。

「でもお前は、評価とか、お金とかに、そんな頓着しない人間のはずだろ…?」
戸惑ったようにS津さんが言う。

その通りだ。
だけど、そういうことじゃない。

「いいですか?
 その会社の構成員がどのような人間で構成されるかを決めるのは――居心地の良さです。
 居心地を決める要素は色々あります。
 だけど、端的にシンプルに表すものとしては、お金です。
 つまり、とても単純化して言うならば、
 給料の高い順に全社員を一列に並べていったらば、それが、会社にとって必要としている社員の順序ということになります。
 そのつもりがなかったとしても、結局はそういうことになるんです」

前職は、”うまくやる”社員がとても多い会社だった。
面倒ごとはうまく避けて、そこそこに評価してもらえる仕事をうまくこなす。
そういう社員が多かった。
なぜか?
それが、一番嫌な思いをしなくて済むからだ。

嫌な思いをすることがわかっていて、わざわざ飛び込む人間なんて、そうそういない。
稀にいたとしても、どこかで心折れて去るのだ――5年前の私のように。

「だけど給料順っていっても、たとえば、年齢がいって子供の養育費とかがかかるようになっている社員の給料は多くしたい、っていうのはあるだろ?」
S津さんが尋ねる。

「はい、長年勤めている社員や、家庭を持っている社員を大切にしたい、というなら、それも大切な会社の価値観です。
 だったら、それは福利厚生や手当で賄えばいい。評価とは別です」

「だけど、俺は評価が厳しめな人間で知られているし…」

やっぱり、そうだ。
だから、ド平均の4で「良い評価だ」なんて言ったのだ。
評価の厳しい人間であることを、ブランドか何かと勘違いしているのだ。

去年マネージャーに昇格したT内さんは、
元々、S津さんの部下だったが、
他の人が上司だったらとっくにマネージャーになっていただろう、と言われていた。

「職責の変わることになる評価の場合には、それでも良いと思います。本人にとっても、周りにとっても。
 だけど今回の評価は、職責は変わらない。変わるのは給料だけです。そんなの、価値ある仕事をしている人間に対して、正当な金額を支払わずに自己犠牲を求めているだけです」

私の活動をいいね、いいね、と言いながら、
私がK部長からB評価を下され続けていることを気にかけなかった経営層や周りの幹部社員たち。
私の活動をいいね、と思っているのなら、
きちんと評価しなければいけなかったのだ。
これが大切なのだと、会社がバックアップして示さなければいけなかったのだ。
そうしなければ、そういう活動をする社員など決して増えない。続かない。
まれに現れる稀有な社員に寄りかかって、自己犠牲を求めているだけなのだ。

そして、評価やランクで人を判断する人間というのも、
少なからず、いるのだ。
新しく来た人事部長の私への言動は、
今回の評価と無関係ではないのだ。

「自分は評価の厳しい人間だから」
そんなパフォーマンスのために、
低い評価を下していいものではないのだ。
もしも厳しくするなら、自分の部下だけじゃなく、全員に対して厳しくしなければいけないのだ。


開発部チーフマネージャーに、私はひたすらレクチャーする。

評価とは何か。
それは、会社の価値観だ。

何を評価するかによって、どのような社員が会社を構成するか、分布が決まる。

さっきS津さんに聞いた、開発部で今回評価の高かった人達の主な構成は、目の前の案件をひたすらこなしている人達だった。

もちろん、目の前の案件を頑張ってこなしている彼らの苦労に報いることは大事だ。

だけど、
売上を多く上げた営業が評価され、
その営業が持ってきた案件を、ただひたすらこなす社員が評価され。

そうしている限り、
営業が持ってきた案件を、無理だろうが何だろうが、
ただひたすらこなすという現状が、永久に続いていくだけなのだ。

評価軸に則った行動をする社員がおのずと増えるのだ。
評価が会社の方向性を決めているのだ。


「ずらっと必要な順に社員を並べていった結果――今回私は、この会社にいてもいなくてもいい人間だと言われたのと同じです。
 私は、自分のやってきたことは、この会社に必要なことだと思っています。いてもいなくてもいい人間だなんてこと、全くないはずです」

だから。

「きちんと評価してください。
 私のやっていることがこの会社にとって意義あること、必要なことだと思うなら、
 きちんと評価してください。評価を見直してください!」

私はS津さんに迫った。

「だけど…ほら、お前は今回、無理やり異動したじゃん?
 そしたら、その分、点が下がるのは仕方ないわけで….。
 それに共通ライブラリの改修もお前が言うほど凄いことでもないと思うんだよ…」

S津さんは、評価を見直さなくていい理由をつくり始める。

もしも今が、評価確定前だったなら、おそらくS津さんは評価をすんなり見直しただろう。
S津さんは、意表をつくアイデアや斜め上からの斬り込みを入れつつも、うまく波風を立てないことで、出世してきた人だ。
評価確定後に、「すまないけど、評価を見直させてくれ」と言うのは、波風を立てることだ。避けたいのだろう。

だけど、これだけは、
波風を立ててでも、しなければいけないのだ。

社員を常駐させない方針を曲げて、社員を常駐案件に放り込んで、
その結果、主力として長年働いてきた社員が立て続けに辞めても、売上主義を続ける経営陣。

開発部の執行役員がNoを言ってさえ、なおも無理な開発案件を押し切る経営陣。

開発部のことはそっちのけで、営業戦略だけを嬉々として語る経営陣。

そして、押し切られて従って、ただひたすらに目の前の開発案件をこなすだけの開発部。

擦り減っていくだけで、何も生まれない。

だから今、開発部チーフマネージャーのS津さんが言わなければいけないのだ。
示さなければいけないのだ。
「既存のやり方を言われるがままに続けるのではなく、
 既存の枠組に捉われずに、自分の持つ力を最大限に発揮できる方法を考えて各々で動くことが大事なのだ。
 たとえ波風を立ててでも」
そう、メッセージを発しなくてはいけないのだ。


S津さんが首を縦に振る可能性が、限りなくゼロなことなどわかっている。
社内フリーランスなんてポジション、この先、どこの会社に行ったって、二度と得られないかもしれない。
だけど、
「せっかく居心地の良いポジションを手にしたんだから、ここは引き下がったら?」
なんて、私が私を諭したら、私があまりに可哀そうだ。

君みたいな面倒な奴が認められるには、
忍耐と自己犠牲が必要なんだよ。
居心地の良い場所をもらったんだから、
そこで大人しく飼われてなよ。

そんな言葉を自分が自分に向けて
言うことになるのだ。

今ここで、私が私の味方をしなければ、
これが価値あることなのだと、
たとえ波風を立ててでも、個々人の力を振り切ることが、
会社全体の価値に繋がるのだと、
信じて、考え抜いて、
行動してきた私があまりにも可哀そうだ。

「評価を見直してください!でなければ、辞めます!」

私は一歩も退かなかった。

 * * *

「本当に俺が決めていいのか…? 他に誰か意見を聞いてみたい奴とか、いないか…?」

心細そうな声でS津さんが尋ねた。
自分の前に、大きな決断が迫られていることを理解したのだろう。
そして、決断するのが怖いのだろう。

なんだか、小さな子供を目の前にしているような気分になる。

「S津さんが決めていいんですよ。この一年間、一緒にやってきたのはS津さんです。
 だから、S津さんが決めてください」
私は言った。

S津さんは、額に手を当てて、しばらく考えこんでから、
「……1週間、時間をくれないか」
そう言った。

「なんで1週間も必要なんですか?何の判断材料が足りないんですか?」
私は聞き返す。

「…いや、足りないわけじゃいし、俺の結論は変わらないと思うんだけど…ただ、何か、少しだけ考えたいことがある」

「じゃあ、明日でどうですか? 私、一週間も落ち着かない気分で待ちたくないです。
 評価を見直さないのなら、週末には転職活動の準備も始めたいですし」

今日は木曜だった。

「俺、明日は社外だから…」

ふぅ、と私はため息をついて、
「じゃあ、月曜でいいですか?」
譲歩した。

S津さんがうなずき、その場はそれで終わりとなった。


自席に戻った私は、仕事を続ける気になれず、
コアタイムも過ぎていたので、そのまま会社を出た。

会社のテナントビルを出たところで、晴れ渡った空を眺めながら、
(2%ってところかな…S津さんが結論を覆す可能性は)
そんなことを思った。

今回の選択をS津さん一人に委ねるのは、
こういう決断の苦手だろう彼に、ちょっと可哀そうかもしれない。
なぜなら、今回の評価の件は、S津さん一人が悪いわけではないのだ。
開発部の他のマネージャーたちも同罪なのだ。

評価調整会議で、マネージャー達の誰一人声を挙げなかったのだ。
「Satoさんの評価、低くないですか?」と。

私が問題多き共通ライブラリの改修を断行していることを全員知っている。
私が案件に入って、技術的な手伝いだけでなく、プロジェクトリーダーのフォローまで行っていたグループだって複数あり、
担当マネージャー達だってそれを知っている。
だけど、彼らは自分の部下の評価のことにしか目が行っていないのだ。
自分のところさえ良ければ、それでいい、と思っているのだ。

開発部のマネージャー達が、それでは駄目なのだ。

(まぁ、私の活動が、そこまでだったとも言えるけれど)

何にせよ、今回の決定権はS津さんにあげよう。
私を社内フリーランスにしてくれたのはS津さんなのだから。

私は深呼吸して、歩き出した。


 * * *

果たして、月曜日。
朝イチで会議室で私と向き合ったS津さんの第一声はこれだった。
「気持ちは落ち着いた?」

NoはNoでも、もうちょっと誠意あるNoが欲しかったかな。うん。

「結論は?」
私は白けた顔でS津さんを促す。

「…評価は見直さない」

お世話になりましたっ、と私は頭を下げた。


(つづく)

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