"好き"と"関心"を巡る冒険 第三章 Summer-1

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アジャイル開発で進めていきたいと考えているんだ」
と、新規プロダクト開発プロジェクトのリーダーとなった私に、
マネージャーのO島さんは言った。

アジャイル開発というのは、
小さな開発サイクルを繰り返していきながら、
少しずつシステムを育てていく開発手法だ。
完成図が見えていない今回のようなシステムの開発には
適した手法だ。

私はアジャイル開発を実務に適用した経験はなかったが、
以前から興味があって、
それに関する書籍を読んだり、プライベートの開発で試してみたりなどしていた。

いつか、実務に適用してみたいと思っていた私は、
はりきって準備した。


最初の2週間で簡単でいいので動くものをまず作る。
そこから問題や課題を見える化して、
次の2週間の開発計画を立てて、ブラッシュアップしていく。
ある程度いったら、社員にも公開して意見を取り入れていく。

そんな風に進めていこうと考えていた。

私自身は、
最初はリーダーとしてプロジェクトを軌道に乗せることに注力して、
軌道に乗ってきたら、実際にコーディングもしてみよう。
そう考えていた。


果たして2週間後、無事、簡単に動くものができた。

まだ、本当にシンプルなレベルのものではあったけれど、
ひとまず動くものができたことに、O島さんやメンバーたちは安堵の表情を浮かべた。

よし、ここからシステムを育てていくぞ、
と私は意気込んだ。


が。
ここから、リーダーの私と、マネージャーのO島さんの
大きな方向性の違いが浮き彫りとなり、プロジェクトの迷走が始まっていく――。

 * * *

「具体的なイメージはまだ浮かばないんだけど、
 とにかく見栄えが良くて汎用的で何かインパクトのあるものを作りたいんだ」

ひとまず動くものができたことで、欲が出てきたのか、
そんなことをO島さんが言い始めた。

「いやいや、期間も短いんですし、
 やることを絞ってそれに注力することが大事ですよ」
私は言った。

しかし、O島さんは譲らず、
あの機能も作ろう、この機能も作ろう…と、
無茶な計画を立て始めた。

たぶん、会社の将来を担う次期プロダクト開発ということで、
気負ってしまっていたのだろう、とは思う。


私はメンバーと一緒に次の2週間に何をやるかの計画を立てる形で
進めていこうと考えていたのだが、
「メンバーの意見はあくまで参考に聞くもので、
 いちいち聞いていたら進まないだろう」
とO島さんに押し切られて、結局、私とO島さんで計画を立てることになった。

そして、その計画も。


「前回の実績が20ポイントだったんだから、次の計画も20ポイントが妥当ですよ。
 60ポイントもこなせるわけないでしょう」
「いや、そろそろみんな開発に慣れて来て、作業効率も上がるはず。
 みんな、早くに帰っているじゃないか。危機感が足りないんだ」
「作業効率っていうのは単位時間あたりの生産性のことなんだから、
 残業して無理やり実績を上げたって、効率が上がっていることにはならないですよ」

ポイント見積り手法という見積手法を使って、
実績値を元に、次の2週間でこなせる妥当なタスクを見積もる方法を
採っていたのだが、
次の2週間の計画を立てる日には、
毎回、私とO島さんの間で、
「その計画は無理です」「いや行けるはずだ」「無理です」…
という、不毛なやり取りが深夜まで行われた。
深夜まで頑張って、妥当見積に対して3倍の計画を立てようとするO島さんを、1.5倍の計画に抑えるのがやっとだった。

 * * *

マネージャーのO島さんは忙しくて、不在がちだった。
O島さん不在時にメンバーから質問が来ると、
私はリーダーとして、O島さんとすり合わせた大まかな方針に
従って彼らに回答していた。

しかし、O島さんが会社に戻って来ると、
「勝手に決めるな。全て俺に確認しろ」
と言って、メンバーの作業がやり直しになることが発生するようになり、
メンバーのモチベーションも下がっていった。

そうして私は、メンバーに何を聞かれても、
「たぶんこうだと思うけれど、O島さんに確認した上でもう一度回答する…」
そんなセリフしか言えなくなった。
リーダーなのに、自分では何の判断もできず、
まるで、メンバーとO島さんの間の伝言係のような状態に陥った。

そうして、リーダーとしての、ろくな決定権の何もないまま、

「届くメールの中身は全て目を通して詳細を把握してくれ」(1日50通以上)
「メンバーの作ったものは全てSatoさんがレビューしてくれ」
「主要な機能の設計は全部、君がやってくれ」
etc..

ひたすらO島さんからの要求だけが降り積もっていった。


私が入社してすぐに入った炎上プロジェクトでは、
元々リーダーのO野さんがそのシステムの担当だったこともあり、
O島さんはフォロー役だった。

フォロー役としてのO島さんは、とても頼りがいがあり、後ろに控えていてもらえると安心感を持てる存在だった。

だけど、前面に出たO島さんは、
全てを自分の思う通りに完璧に仕上げようと、
ひたすら部下をマイクロマネジメントして
体力勝負を要求してしまう上司なのだということに、
この時、私は初めて気がついた。


O島さんのこのスタイルと、
リーダーとして要所だけ抑えて、
あとはメンバーに任せる自主性の高いチームを
運営していこうと考えていた私のスタイルは、
真っ向から対立してしまっていたのだ。


もう、アジャイル開発などではなくなっていた。
メンバーの意見を引き出しながら、
みんなで創意工夫しながら開発していくために私が取り入れた仕組みは、
ただ、2週間単位でメンバーを追い立てるだけの仕組みに成り下がってしまっていた。

2週間ごとのレビューの場は、
ただ、各メンバー達が、
今回はいったいどれだけのタスクが自分に割り振られたのか、
それだけを確認する場となった。
自分たちのタスクを増やすだけとなる創意工夫のアイデアなど、出るはずもなかった。


 * * *

「こんなリーダーといえない状況なら、私はもうリーダーを降ります!」
「君しかリーダーを出来る人間はいないんだ! 無責任にリーダーを投げ出すのか!」
そんなバトルが、他の社員のいなくなった深夜のオフィスで何度も繰り返された。

今の私だったら、
「私に任せてくれないんだったら、リーダー降りますよ。
 どうします? 私はどっちでもいいですよ?」
と、笑いながらO島さんに選択を迫るだろう。

だけど、この時の私は、まだそれができなかった。

この頃の私は、
『責任感のある自分』
というものに、どこかこだわりがあり、
「リーダーとしての責任を投げ出すのか」
と言われてしまうと、
リーダーを降りる、と言えなくなってしまうところがあった。

無責任に仕事を放り出していく先輩に苦労させられた若手時代が
あったからかもしれない。
自分からリーダーに立候補しておきながら、
リーダーを降りるのが後ろ暗かった、というのもある。

 * * *

10月にリーダーを引き受けたプロジェクトだったが、
年末には、私はストレスでもう限界だった。
とにかく誰かに相談したかった。
だけど、相談できる相手がいなかった。

プロジェクトが終わった後になってから、
あの時メンバー達に相談していれば良かったかもなぁ…、
と思ったりもしたのだけど、
この時の私はそれもできなかった。

"自分は縁の下の力持ちの役割を担って、
 メンバーにとって居心地の良い場所を作って、
 面白いものを作りたい。
 そういう場を作れるリーダーになりたい"

それが私の目指すリーダー像だった。
だから、リーダーとマネージャーの間に起こっている問題を
メンバーたちに見せるものではない。
そう思っていたのだ。


深夜、私とO島さんが計画のことで言い合いをしていると、
「まだ帰らないの?」
と開発部役員のM崎さんが私たちの元へやって来た。

いつも遅くまでやっている私たちのことを、気にかけてくれているのはわかった。
だけど、私は彼女にも相談できなかった。

私が入社してすぐに入ったプロジェクトが炎上した時、
プロジェクト炎上の原因について、翌年の全社会で、
「O島さんの采配ミス」
と彼女が発表したことを、私は忘れることができずにいた。

この頃の私は、O島さんをプロジェクトから追い出してしまいたいくらいの
多大なるストレスを抱えていた。
だけど、だからこそ、
誰それが悪い、というような安直な結論ではく、
状況を客観的にきちんと分析して、
プロジェクトとしての最善の判断やアドバイスをできる能力を持った第三者に相談したかった。

だけど、社内にそういう人間がいるのか、いるとして誰なのか、
入社して2年半、
O島さんの元でしか働いた経験のない、この時の私には、わからなかった。


(つづく)


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