読書量が落ちた話と、noteを始めた話

ここ1, 2年、読書量が落ちた。
これまで、月に4冊くらい読んでいたのが、
月に1, 2冊、あるいは全く読まない月もあったりする。

理由は、昔ほど、
本との嬉しい出会いがなくなったからだと思う。


数年前までは、年に5冊くらいは、
読んで目から鱗、新しい発見を得て、
「この本に出会えて良かった!」
みたいな感激を受ける本があったのだけど、ここ1, 2年は、
「まぁそうだよね」とか
「うーん、一部は同意するけど、全体的にはなぁ…」とか
「ちょっと考察が足りないんじゃないかなぁ…」とか
「真新しいことが書かれている、と評判だったけど、
 既に半歩遅れているように感じるなぁ…」
とか、
そんな風に、著者に対して批評的な視線ばかりを向けてしまう自分がいて、
そういう自分に悶々とするようになってしまったのだ。


「読み手として、もっと謙虚な姿勢で読んだ方がいいんじゃない?」
と自身を諭す自分と、それに対して、
「プライベートの読書なんだから、好き勝手な感想抱いていいじゃない」
と反論する自分が、自分の中で葛藤したりもして。


批評家嫌いな私は、自分が批評家になるのも嫌なので、
そんなわけで、しばらく本から離れて、
活字が恋しくなった時には、ひさしぶりにライトノベルに手を出したりしていた。
異世界転生系を初めて読んでみたら、かなり面白くて、ライトノベルもすごいものはすごいな、と改めて思った)


そんな風に真面目系の本から離れた日々を過ごしていたある日、ふと、
「あれらの本の著者の執筆当時の年齢と、今の自分の年齢って、もうそんなに変わらないんだよな」
と気づいた。

自分だって、それなりの年月を、自分の関心ごとについて、
あれこれ考えたり勉強したり試行錯誤したりしてきたのだから、
自分の関心ある事柄についてはそれなりに造詣が深くなっていて、
本を読んで
「おぉ!全く新しい気づきだ!!」
みたいなことがなくなっていくのは、よく考えたら当たり前だ。

だから、本を読んでアレコレ批評してないで、
自分自身の考えを整理して深めていくことにスイッチする頃合いなのかもな。
そんなことを思った。


そしたら、たまたま、アインシュタインのこんな言葉に出会った。

ある年齢を過ぎたら、読書は精神をクリエイティブな探求から遠ざける。本をたくさん読みすぎて、自分自身の脳を使っていない人は、怠惰な思考習慣に陥る。

なんだ、アインシュタインもこう言ってたのか。
やっぱ、そうだよね。


というわけで、自分自身の思考を他者に向けて整理して書いてみようと思って、
noteを始めた。

note.com


こちらのブログは引き続き、徒然エッセイを綴り、
noteは真面目系のアウトプット、
という棲み分けにしようと思う。