前回の話→“好き”は仕事にできるのか? vol.3 - Sato’s Diary
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「“好き”は仕事にできるのか?」
その問いを立てたのは、知人とメッセンジャーでこんな会話をしたことからだった。
「好きにも、色々な"好き"があるよね。
『人と分かち合いたい"好き"』と『人と分かち合いたくない"好き"』とか、
『仕事にできる"好き"』と『仕事にできない"好き"』とか」
「それは面白い。"好き"の種類を分解してみたいですね。
この日本語、便利なんだけど、細かく言い表すには不便で」
「そうだよね。
『プログラミング好きです。
でも仕事以外ではプログラミングしないし勉強もしません』
ていう同僚が昔いて、『それを好きと呼べるのか!?』って私は思ったのだけど、
"好き"っていう気持ち自体は他人が否定できるものじゃないから、
難しい言葉だよね」
それで、自分の中にある"好き"って、いったい何なんだろうか?
というのを見つけたくなり、このブログを書き始めた。
それからしばらくして、その知人を含めた何人かの人達と"好き"について
色々話す機会があり、そこで、ひとつの結論(仮説)に達した。
「"好き"は結論で、
行動に繋がるベクトルを持っているのは"関心"なのではないか?」
好きじゃなくても、関心があれば行動に繋がるし、
逆にそこから先の関心がなく、ただ結論づいてしまった好きだと、そこで終わってしまうのでは?
なるほど。
私が学生時代にホテルを志望した時も、その後にSEに切り替えた時も
「チームでお客さんのために何かをなす仕事」に対する関心からだし、
元同僚が、
「プログラミング好きだけど、プログラミングの勉強はしない」
と言っているのも、
プログラミングをやってみて「好き」という結論を出したけど、
その先に新たな関心を抱いていないから、と考えれば納得できるな。
そうか、そうか、そういうことだったんだな。
なんか、しっくり来たぞ。
その時は、そんな風にすっきりとして、
じゃあ、つらつら綴り始めたこのシリーズも、まだ全然途中だけど、
ここで終わらせてもいいかなー、
と思った。
そうして、書いていく予定だった、これまでの自分のヒストリーを思い起こしながら、
「そうか、確かにこの時の選択は、○○に対する関心から来てるし、
この時の選択は、××に対する関心からだなー」
と、ふむふむ、と頷いていた。
が。
「ん?あれ?」
頭の中で、順繰りに思い起こすうちに、引っかかりを覚えた。
「この時の選択は"関心"じゃないぞ…?
この時の大きな舵切りの原動力は、"好き"だよね…??」
自分のこれまでの中で、どう考えても"関心"からではなく、"好き"によって行った選択が、少なくとも2つある。
むむむ…?
行動に繋がるのは"関心"で、"好き"自体には行動に繋がるベクトルはない」
そう結論づいてすっきりしたはずが、どうもそうとは言えなさそうだ…。
そんなわけで、自分の半生を振り返る物語は、
『"好き"と"関心"を巡る冒険』
とタイトルを変えて、引き続き続けて行こうと思います。
次の話→“好き”と“関心”を巡る冒険 第一章 vol.1 - Sato’s Diary
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