かくかくしかじか

東村アキコ先生の「かくかくしかじか」を読みました。


ひさしぶりにマンガで泣いた。
マンガ、というか小説も含めた本全般でこんなに泣いたのはひさしぶりだ。


著者の自伝的エッセイマンガで、恩師・日高先生と出会った
高校3年生の夏から話は始まる。
のどかな宮崎県を舞台に、強烈な日高先生との日々が描き綴られる。
先生が既に亡くなられていて、
先生との日々を偲ぶように描いているのだということは
1巻のうちからわかるのだけど。


絵に対してまっすぐで、
生徒に対してまっすぐで、
その突き抜けた真っ直ぐさゆえに強烈な個性を放つ日高先生という人物を
こんなにも立体的に活き活きと描き上げる、その裏に、
東村さんの日高先生に対する愛情と、
どうしようもないほどの後悔が存在していたことが
読み進めていくうちに、明かされる。


初めて多額の印税が振り込まれた時に
悔しさを感じた、その理由。


インタビュー記事で、
先生が亡くなってから、このマンガを描くまで、
先生との思い出には蓋をしてきたのだと語る東村さん。
連載中も、締め切りぎりぎりになるまでは全くこのマンガのことを考えず、
締め切り間際のほんの数日だけ、記憶の蓋を開けて、
先生との思い出を一つずつ引き出す、という繰り返しだったと。


そして、先生との思い出をひとつずつ引き出しながら、
若かりし日には気づけなかった先生の言葉の意味や想いに気づいていく日々だったと。


先生に向き合えなかった東村さんの気持ちはよくわかる。
先生が絵に対してあまりに真っ直ぐだったから。
先生のことが大好きだったから。
だけど、どうしても絵を選べなかったから。


時を経て、このエッセイ漫画を描きながら、
ようやく東村さんは先生に向き合う。


誰でも多かれ少なかれあるだろう蓋をしている記憶。
どうしようもない後悔。
その蓋を開けて向き合う作業を、
美化するでもなく、ただ淡々と、赤裸々に描いているから、
読んでいて、こんなにも揺さぶられるのだろうな、と思う。


konomanga.jp