感動をありがとう

フィギュアの試合を泣きながら観たのは初めてだ。


寝不足で情緒不安定にでもなってるんだろうか、自分。
と最初思ったけど、
演技後に映ったアナウンサーも、観客席の人も、涙目で、
友人も Facebookで 「泣いた!」って言ってて、
Twitterでも「泣いた!」て言葉がダーダー流れてて、
あぁ、この四分間、会場内はもちろん、
電波を伝って全世界に、言い表しがたい感動の波が駆けめぐっていってたんだな、
と思った。


「最後まで諦めずに頑張る姿は、メダルがなくても、
 こんなにも嬉しくて特別な感情になれることを世界中に教えてくれました。
 感謝したいと思います。」


お姉さんの浅田舞ちゃんのブログに書かれていたコメント。
その通りだった。


演技の良し悪しと得点は、必ずしもイコールではないけれど、
大きな感動が湧くのは、やっぱり得点があって、メダルがかかるこそだと思ってた。


だけど、真央ちゃんの演技は、
そういうことを超越していた。


「あぁ、きれいだな」「あぁ、今のところ、ちょっと微妙かな……」
どんな演技を観ていても、どこかでそんな分析や評価や採点をしている自分がいる。
だけど、あの真央ちゃんの演技の時には、ただただ、祈りしかなかった。
そうして、気づいたら、いつのまにか、涙がだーだー流れていた。


得点競技だけど、本当の感動っていうのは、
そういうところとは全く無関係なところにあるんだ、て
あの瞬間、理解した。




私は、15歳くらいの時の天真爛漫な真央ちゃんよりも、
色々なものを抱えて、単純な「楽しい!」だけの気持ちでは滑れなくなった
18歳頃からの真央ちゃんの演技が好きだ。


だけど、ショートを終えて、茫然自失とする真央ちゃんを見た時、
メダルの重みから解放されたのだから、もう抱えているもの捨てて、
ただただ自分のためだけに、天真爛漫に滑ってくれればいい。
そう思った。


色々な人のコメントや、ファンのメッセージを見ても、
そういった内容のものがやっぱり多かった。


だけど、真央ちゃんは、たくさんのものを抱えて、抱えたままに、
跳んだ。
跳んで、突き抜けた。




真央ちゃん。
こんなにも心揺さぶられる演技を見せてくれて、ありがとう。
あなたは間違いなく、一つの時代でした。
その時代に巡りあわせられた私たちは、とてつもなく幸運でした。


本当に本当に、ありがとう。