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八日目の蝉

読書感想

八日目の蝉 (中公文庫)

八日目の蝉 (中公文庫)

『八日目の蝉』(角田光代)を読み終えました。


不倫相手の生後6ヶ月の子供を誘拐し逃亡する女性と、その子供の物語。


ずっと前から気になっていたのだけど、
明るい話じゃないのはわかっていたので、
いつか買おう、いつか買おうと思いながら
本屋で本の前をうろうろする日々が続き、
ようやく買ってからも、
いつか読もう、いつか読もうと思いながら
本棚にしまったままの日々が続いていたのだけど、
ようやく読みました。


読み終えて、
少し前にラジオで著者の角田光代さんが語っていた話を
思い出した。


角田さんは、元々、
人間の中のドロドロした部分を物語にするのが好きだったのだけど、
編集長さんは、そんな角田さんに、
「あのね、物語には、希望が必要なんだよ。
 世の中に残っている小説には、全て、希望が描かれているんだよ」
何度も何度も、そう言ったらしい。
角田さんは、最初、その言葉の意味がわからなかったらしいのだけど、
ある頃から、ふと、何となくだけれど、その意味がわかるような気がしてきた――。


そんな話。


『八日目の蝉』を読み終えた時、浮かんだのは、
この時、ラジオで言っていた、『希望』という言葉。


ラジオで聞いていたときには、そりゃそうだろう、て単純に思ってた。
希望のない話よりも、希望のある話の方がいいに決まってる。
でも、よく考えてみると、『希望』って何だろう?
希望のある話って、何だろう?
単純に、ハッピーエンドなら、それで希望のある話ってなるんだろうか?


『八日目の蝉』は、とてもとても哀しい話で、
ラストもハッピーエンドといえるのか、よくわからない。
だけど、この物語には、確かに最後に希望が描かれている。

茶化すみたいに、認めるみたいに、
なぐさめるみたいに、許すみたいに。


物語の最初と最後は、そんな同じ言葉で締めくくられている。
哀しさと暖かさのないまぜになったような言葉。
だけど、まったく同じ言葉なのに、
最後にその言葉の出てくる時、
そこには、たしかに、
きらきらと未来に向かっていく強さのようなものを感じた。