芦原妃名子作品を語る

突然の訃報に、とてもショックを受けている。
同時に、自分のショック度合いにもびっくりしている。

いち読者ではあったけれど、のめりこむようにハマった作品はなく、
活動を追っていたわけでもないので、
漫画雑誌を読まなくなってからは、新作が3巻くらいまで発売されたところで
存在に気づいて読み始める、という感じの緩い読者だったからだ。

だけど、よくよく考えてみると、
まだ制服を着ていた四半世紀前に芦原さんの漫画に出会ってから、
若干のタイムラグはあれども、大体リアルタイムで読み続け、
彼女の作品は、単行本化されているものは8割方読んでいるので、
(もしかしたら全部かもしれないけど、自信がないので8割にしておく)
彼女の作品と四半世紀を緩やかに共に過ごしてきたとも言える。

今回のことが起こるに至った出来事そのものについても色々と考えるところはあるけれど、
その人の持つ価値観というのは、何よりもその人の作るものに表れるので、
この方が、どういった漫画を描かれてきたのかを、
私なりに綴ってみようと思う。

 * * *

「自分は連載作品よりも、長編読み切りの方が向いている」
とおっしゃられている作家さんだった。
そのため、初期の連載作品は苦戦されていたようだ。
出世作となった『砂時計』で、
”読み切り話を重ねていく連載スタイル”(続きものの連載ではあるけれど、半読み切りともいえるスタイル)
を獲得されて、以後はその形式での連載となる。

なぜ芦原さんに通常の連載スタイルが合わなかったのかを考えてみると、
「人間は1つ1つの経験を積み重ねていくことで、少しずつ自分を変容させながら、次の一歩を踏み出す」
という感覚を当たり前のものとして持っていたからではないかと思う。
だから、「最初の時点で大まかなあらすじや落としどころを決めて、話を進めていく」という予定調和の連載の形は合わなかったのではなかろうか。

連載スタイルの過渡期であった『砂時計』は、
第1話冒頭で大人になった主人公が登場し、そこから幼少時の回想に遡って物語が始まる…という導入だった。
長い連載を経て、ようやく冒頭シーンに戻ってきた時、
「冒頭のシーンに辿り着けて、ほっとした」という作者コメントがあったので、
冒頭シーンが話を進める上での縛りとなって、苦戦されていたのかな、と思う。
実際、話の整合性が気になる性格の私は、連載を追いながら、
当初想定していただろう設定とのズレや、「無理やり冒頭のモノローグを実現するために、この展開にしてない?」と気になるところがいくつかあった。

連載漫画は人気が続かないと打ち切られる定めなので、
「冒頭に大人になった主人公を登場させて、そこから時間を遡らせて物語を始める」
というのは、読者を引き留めるテクニックのひとつだったのではないかと思う。
そういう始まりにされると、読者としても「どうして、あのシーンに辿り着くの!?」と気になり、そのシーンに辿りつくまで話を追いたくなる。

連載の中盤を過ぎたあたりで、
「やっと、自分が望む形で最後まで描かせてもらえることが確定した」といったことを芦原さんが書かれていたのを記憶している。
一話ずつを半完結としたストーリーを丁寧に積み重ねていく彼女の連載スタイルが読者に受け入れられ、読者を引き留めるためのありきたりなテクニックを使わずとも、自分のやり方でやっていくことができる、という自信を得た作品だったのではないかと思う。


芦原さんの作品には、初期の作品から一貫して、
人間の弱さと強さ、歪みとしなやかさが描かれている。
ともすれば否定されがちな側面にも光を当て、
それらが長い時間を経てしなやかに内包されることで立ち現れる美しさに、
憧れを抱いている方だったのではないかと思う。

そういったものをコントラスト的に描くためか、初期の作品には、
思春期の明るさとコンプレックスを抱えた主人公が
たくましい年配の女性に出会い、その姿勢から何かを学ぶエピソードが多い。
最近の作品では、物語中で占める年配女性の比重は下がったけれど、大体の話で、
「多くは語らないけど、色々な歴史を積み重ねて今の魅力的な姿があることが伺える年配女性」
が脇役として登場している。

芦原妃名子傑作集(2)祈り (フラワーコミックス)
収録作品『コンビニS』は
コンビニ前にたむろう主人公たちをおばあちゃんがバイトに雇う話
砂時計(1) (フラワーコミックス)
『砂時計』のお祖母ちゃんも魅力的。
「あんたは強い!」が心に残る。


また、多様な価値観や生き様のあることを描こうとしている方だった。

連載当時、読者から非難を浴びた元婚約者を主人公とした『砂時計』の後日談。
万人からは肯定や理解されないだろう形の恋愛を書いた話。
色々な結婚の形のあることを描いた『Bread & Butter』。

芦原妃名子傑作集(1)記憶 (フラワーコミックス)
多様な恋愛の形が収められた短編集
Bread&Butter 1 (マーガレットコミックスDIGITAL)
パン屋を訪れるお客さんを通しながら、様々な結婚の形を描く



誰にでも、それらの行動をする理由はあり、
その人なりに、自分の抱えるものとの折り合いを模索しながら生きているのだと、
そういうメッセージが通底にあるように思う。


『砂時計』に続く連載となった『Piece』は、
病死した元クラスメートが、大して関わりがなかったにも関わらず、
両親に対して自分を親友だと偽って話していたことを知ったのをきっかけに、
今は亡き彼女が、誰と交わり、どういう生き方をしてきたのかを、
1つずつピースを集めながら追っていく話だ。

Piece(1) (フラワーコミックス)
背景や思考の想像できない女医がミステリーさを誘った

ミステリーの形をとりながら、
人間には多様な側面のあること、
身近な人のことですら私たちはほとんど何も知らないのかもしれないこと、
そしてそれは、相手に対して一歩踏み出す勇気の無さからかもしれないこと、
一歩踏み出すことで相手との関係性や自分自身を変容させていける可能性のあること。
そんなことが描かれている。


連載中の『セクシー田中さん』も、
ここまでに書いた要素がふんだんに盛り込まれた素敵な作品だ。

人と交わり合って影響を受けあって、
勇気を出して一歩踏み出すことで、
何歳からでも人は変われるし輝けるのだと、そういう勇気と希望を与えてくれる話だ。

セクシー田中さん(1) (フラワーコミックスα)
登場人物それぞれがそれぞれに影響を与え合って緩やかに変化していく


1話ずつ丁寧に、登場人物たちの内面を掘り下げて、
丁寧に彼らの成長を見守っていくようなストーリーは、
描いている御本人自身、登場人物たちがこの先、どのような選択をするのか見えていなかったのではないだろうか。
ただ、彼らがこの先どのような道を選んでもいいように、そこは守りたかったのではないかな、と、
勝手ながら想像する。


芦原さんが27日に投稿した文章は、現在は削除されてしまっているが、
以下サイトに全文掲載されている。

getnews.jp

芦原さん御本人が削除することを選ばれた投稿を掲載している記事を紹介していいものかどうか、少し悩んだけれど、
おそらくこの投稿は、何度も推敲を重ねられた上で書かれた彼女の表現のひとつで、
なかったものにするにはあまりに惜しく、
誰かを攻撃する道具として使うのでなければ、想いを踏みにじることにはならないだろう、と考えてリンクを貼る。

私は削除される前に読むことができたのだが、投稿を読んだ時、
「直接言葉を届けられない人たちに対して、自分側の物語を伝えようとしているのだろうなぁ」
と思った。

こちらからは、こう見えている。
だけど、相手視点にカメラを回してみれば、相手から見える景色や内面はこうなっている。
まさに、芦原さんの作品そのものだ。

攻撃したかったわけではない。
彼女の内面の葛藤や苦しさも、物語の全容を掴むために必要な大切な1つのピースだから、書いたのだ。
私はそう受け取っている。

何が彼女に痛ましい選択をさせてしまったのかといえば、
顰蹙を買うかもしれないけれど、"睡眠不足と疲労"だったと私は思っている。
投稿を読むと、多忙を極めていたことがわかる。

心無い言葉が、たやすく人を追い詰めること、
だけど、そんな人ばかりじゃなく、寄り添ってくれる人も必ず存在すること、
どんな人間も弱さを抱えていて、ふとした拍子に悲しい道を辿ってしまう人のいること、
だけどそんな危うさを抱えながらも、他者と交わったり、自分に向き合ったりしながら、一歩ずつ自分の道を進めていくことで、
長い時をかけて、やがて全てをしなやかに包み込んで生きていける強さと可能性を人は誰でも秘めていることを
彼女の綴る物語は語っている。