情報との付き合いかた考 1

TVを見なくなって久しい。
代わりに長年、ラジオを聴いていたけど、
ここ半年くらい、ラジオからも離れている。

なんで、そういう生活をしているのか、
そういう生活を経て、どういう感覚を得たのか、
ここらで振り返り整理してみようと思う。

TVを見なくなった理由

20代後半だったと思う。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読みながら、こんなことを考えた。

「幕末の頃は、国外どころか藩から出ることすらも難しくて、
 ほとんどの人が情報を持っていなかったから『いかに情報を得るか』ということが重要で、だから藩や国の外に出て情報を得た人が有利だったんだろうな。
 でも、情報の溢れかえっている現代では、逆に『いかに入ってくる情報を絞るか』ということが重要なんじゃないかな」

その頃、私は普通にTVを見ていたけれど、
TV番組に対して、もやもやを感じていた。

当時のTVでは毎日、朝からコメンテーター達が訳知り顔で誰かのことを批評していた。
(現在のTV番組がどうなのか知らないので「当時」と添えておく)
そして、昼休みには同僚たちとTVで取り沙汰されているネタで各々の意見を交わしたりしていたのだが、
そのことに、なんだかな…とモヤモヤが募るようになっていた。

TVの提供するネタは、日々変わる。
一週間前には別の人を槍玉に挙げていたと思ったら、今週はまた別の人を槍玉に挙げている。
今日、TVで報じられて昼休みの雑談ネタにしている話を、一年後、いったいどれだけの人が覚えているだろう?
槍玉に挙げられた人は、もしかしたら一生、その傷を負っていくかもしれないのに、
私たちはその場限りの批評家じみた気分を味わうネタとして、ただ消費する。

そんなモヤモヤが積もっていくうちに、
いっそTVを見るのをやめようかな…、
と思いつつ、
でも、やっぱりTVからは必要な情報も入ってくるしな…と逡巡していた頃だった。

『いかに入ってくる情報を絞るか』ということが重要なのでは?
という発想を得ると、
情報の出てくる蛇口を意識的に閉じてみてもいいかもしれない、と思うようになった。
TVを見なかったとしても、本当に重要な情報ならば何らかの形で自分の元に届くのではないだろうか?
そんな仮説を立てて、TVを見るのをやめた。

代わりに、家にいるときはラジオを聴くようになった。
TVでは出演者が、誰かが発言しているところに別の誰かが話をかぶせてくるというシチュエーションが多かったが、
ラジオでは、一度に喋るのは一人だけで、たまに発言のタイミングがかぶってしまった時などは、発言を譲り合うスタイルなところが気に入った。

TVを見なくなって困ったこと

そうしてTVを見なくなって10年以上たつけれど、
何か困ったことがあるかというと、特にない。

その昔、秋篠宮妃の紀子さまが嫁がれる際に、
ご実家にTVがない、という報道がされて、子供心に仰天したのを覚えているけれど、
実際にやってみると、まったく何も大したことはなかった。

TVを見ないことで、入ってこなくなった情報はたくさんあるだろうけど、
私の人生に何の支障もきたしてないので、
「TVを見ないくらいで入ってこない情報ならば、大して重要な情報じゃない」
という仮説は間違ってなかったと結論している。

もちろん、
「TVを見ていないがゆえに、他の人たちはみんな知っているのに自分だけ知らない」
という状況はよくあるが、
「私に届いてないってことは、大して重要な情報じゃないか、あるいは、今この場で人を介して必要なエッセンスだけ届いているか、のどちらかなんだろうな」
と偉そうに構えている。

ちなみに、相手から
「最近、○○のニュースが取り沙汰されているじゃない?」
と振られて、知らないときには、
「TVを見てないから知らないけど、詳しく教えて」
と返している。
相手が本当にそれについて話したいときには、ちゃんと説明してくれるし、
相手の言葉で話してくれて面白いので、私も興味津々で聞く。
「知らないから教えて」と返すと、じゃあ、いいや、と別の話題に変えられることも多いが、
そういう場合は、相手にとってもそれほど熱量のある話ではないのだから、まぁ大した話じゃないのだろう。

そんな風に構えていることもあり、
困ることは特にないのだけど、
それでもあえて、困ったことを挙げるならば、
会社員だった頃、昼休みに一緒にお弁当を食べている同僚が気分転換として仕事以外の会話ネタとして、TVの時事ネタを振ってきた時に、その気遣いに応えられなくて少し申し訳ない気持ちになったことと、
友人と話しているときに、たまに
「えーと…たとえば、芸能人の○○さんに似ている人!」
みたいな喩えをされた時に、「ごめん、TV見てないからわからない」と返すしかなく、そう返された友人は、めげずに他の芸能人の名前を次々挙げていくのだけど、ことごとくわからず、申し訳ない気持ちになることくらいだろうか。

ただ、前者については、私は弁当を食べるのが遅いので、
他の同僚たちが時事ネタで会話をしているのを、
(なるほど、最近ちまたではそういう時事ネタが取り沙汰されているのかー)
と聞きつつ、もぐもぐと弁当を食べ進めると、同僚たちと弁当を食べ終わるタイミングが揃い、程よく時事ネタも収集できるので、ちょうどよかった。
そして後者も、最近、
「漫画の登場人物に喩えてくれれば、たぶんわかると思う」
と返せばいいことに気づいた。
それなら私も大体わかるし、雑談ネタ豊富な人はメジャーどころのマンガは抑えていることが多い。


要は、TVが提供している一番大きいものは、
「会話する際の共通項」
なのだろう。
「初対面や、それほど親しくない相手、普段いる場所や立場の異なる相手と無難に共有できるネタ」
として便利なのだ。

その有効性には、なるほどなー、と思いつつ、
少なくとも私にとっては、再び、TVを見たくなるほどの魅力的なポイントではなかった。

(2につづく)