ドリームホースという映画を観てきました。
ウェールズの田舎町で、
住人たちがお金を出し合って一頭の競走馬の馬主になるという、
実話を元にしたお話。
ウェールズって、町の中に普通にロバがいるんだなぁとか、
競馬のスタート位置にゲートがないんだなぁとか、
そういう文化的なところは観ていて興味深かったのだけど、
物語そのものは、どうにも、うーーーん……と微妙に感じてしまった。
登場人物たちが、コミュニケーションを疎かにして、
個人の感情を主張しあっているところが、どうにも気になってしまった。
合意形成の方法を決めずに、
こういう共同出資プロジェクトを進めてはいけないよな。
みんなでお金を出し合って「みんなの馬」と言っているのに、
結局は主人公が「自分が一番、馬のことを想っている」と思っているということ。
そこが揉める原因になっているのだということに向き合うことなく
最後まで話が進んでしまったところが、残念。
この映画がテーマとしているのが、情熱だということはわかる。
馬の走る姿が、観る者に情熱を呼び戻してくれるのだと、
お金とか理屈とか、そういうことじゃないんだ、と。
それはわかる。
だけど、自分自身や相手に丁寧に向き合うことを避けている限り、
馬の与えてくれるそれは一過性のもので、
向き合わなきゃいけない自分のタスクから
目をそらして気を紛らわせているだけじゃないのかなぁー、
と、どうにもシビアな感想を抱いてしまった作品でした。
で、そんなもやもやした感想をつらつら考えながら、
じゃあ、自分がこれまで観た映画の中で一番好きな映画は何だろう?
と考えてみて、やっぱり『アンナと王様』だな、と思った。
映画館に複数回足を運んだ作品は、今のところ、人生でこの作品だけ。
年を重ねて見返すと、色褪せて見える作品もあるけど、
少し前にDVDで見返したら、やっぱり面白かった。
『王様と私』のリメイク作品と言った方が通じるかもしれないけれど、
モチーフが同じだけで、中身は全然別物。
史実をモチーフにしてはいるけど、多分にデフォルメされているので、
タイの人が観たら、なんじゃこりゃ、な代物かもしれない。
「芸者サムライ切腹」のイメージで作られた、”日本の時代物風”の映画がたまにあるけど、そんな感じかもしれない。
でも、私は好き。
(ちなみに、『王様と私』の時は「滅茶苦茶な話だけど、これを受け入れるのが寛容ってことだろ(苦笑)」って感じでタイでも上映されたけど、『アンナと王様』の時は上映が禁止されたらしい)
何が好きかというと、
主人公のアンナと王様の、ウィットに富んだ会話。
一回見ただけでは、言葉の意味がよくわからず、
自分の中で少し考えて、「あぁ、そういうことか!」とわかる感じ。
物語の舞台は、19世紀のタイ。
西欧列強がアジアに進出してきて、タイ王国を自国の植民地にしようと虎視眈々と狙っている時代。
当時のタイ国王であるラーマ4世(作中のモンクット王)が、
タイを主権国家として守るためには、西欧の知識を取り入れることが大事だと考えて、
自分の子供たちの家庭教師として、英国人であるアンナさんを招いた、というのが
物語のあらすじ。
日本でいうならば、黒船来航して「尊王攘夷だー!」と叫ばれている中で、
将軍が
「次期将軍の家庭教師に、西洋人を招き入れる」
って言っているようなものなので、ラーマ4世の行ったことは、すごい話。
周囲の国々が植民地化された中で、タイだけは最後まで独立を保てたのは、
このラーマ4世の英断と、そのおかげで西洋の知識を身に着けて成長した息子のラーマ5世の手腕によるものだとか。
そういうわけで、この映画は、
アンナさんの西洋的価値観と、タイの人々の慣例や価値観が、
ぶつかりあいながらも、少しずつ互いを理解していこうとする姿が描かれているのです。
そして、私が、この映画の何が一番好きかというと、
主人公のアンナさんが「間違えること」。
自分の正義を疑わず、振りかざした結果、
それが取り返しのつかない大きな過ちとなるところ。
そこが、すごく好きなのです。
西欧的価値観の勝利でもなく、
わかり合えて、めでたし、めでたしでもない。
「改革には時が必要なのだ」
作中で王様が何度か言うセリフ。
どれだけ正しいことだとしても、
ゆっくりじっくり時をかけなければいけないことがあるのだと。
作中で議論されていたことのうちの1つは、
ゆっくりじっくり時をかけて、
息子のラーマ5世の治世において改革が為される。
最初に映画を観たときには、
アンナさんがどうしてタイを去るのか、
どうもうまく理解しきれなかったのだけど、
今思うと、
自分が大きな間違いをしたことは理解するけれど、
かといって、自分にとって受け入れがたいことを見て見ぬ振りしていくこともできないから、
「”今、この場所”には、自分の生きる道を見つけられない」
そう判断したのだろうな、と何となく思う。
そんな感じに、2つの映画のことをつらつらと考えてみて、
私にとっては、
「コミュニケーション」というのが、
映画を観る上で、結構気になるポイントなんだな~
と気づいた今日この頃でした。