"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 終幕 vol.6

(前回のあらすじ)
この会社で90周走ることを諦めて、次の場所へ行くことを私は決意する。

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2014年3月頭に転職活動を始めた私は、
4月上旬には、とんとん拍子に転職先が決まった。

「90周走る!」と決めて会社に残ってからの6年の間に、
自分の力で変えることのできるものが、たくさんあることを知った私が、
転職先の条件にしたものは、

  • 全体が見渡せる規模のシステムを、自社開発していること
  • 独立系の会社で、社員が300人未満

これだけだった。

自分が価値あると思っている規模のシステム開発に、
会社として価値を置いていることと、
大手企業のような、どうしようもない外側からの力で、
組織変革のリセットボタンを押されないこと。

これさえ保証されていれば、
あとは自分の力でどうとでもできる。

 * * *

部長のK藤さんとの面談も終わり、
退職にあたっての最後の面談となる、総務の元へ行った。

『自分がやりたいのは、自分で全体を見渡せる規模のシステムの開発だが、
 会社の事業の主軸が、大規模システムに移っていっているため、
 年齢的に、マネジメント職ではなく、開発リーダーとして転職できる、
 ぎりぎりのタイミングの今、転職を決意した』

A村さんやK藤さんに伝えたのと同じ内容を、私は総務部長のWさんに話す。

私の話を聞き終えた後、
「他にはない? たとえば上司の問題とか」
そう尋ねられた。そのための総務の面談だ。

私には、ひとつだけ、気になっていた噂があった。
「退職者を出した幹部社員は、評価に影響する」というものだ。

今の上司のA村さんは、辞意を伝えた時、
「ずっとポンコツな状態で迷惑かけて、そのまま役に立つことなく
 辞めるとか言ってすみません…」
と泣きながら言う私に、
「何を言ってるんだ。すごいよくやってくれていたじゃないか」
と、わたわたしながら言ってくれて、
部長のK藤さんは、面談の時、
私に合うんじゃないかと規模の小さめなプロジェクトを探して来てくれて、
でも、私がもう転職先の最終面接まで進んでいることを聞いて、
「寂しくなるなぁ…」
肩を落として、そう言ってくれた。

私が何の嫌な思いもせず辞められるのは、彼らのおかげだった。
K部長だったらきっと、最後の最後まで、嫌な思いをさせられただろう。

だから、もしも2人の評価に関わるならば、
その時は、AさんとK部長の名前を出そうと考えていた。

けれど、噂の真偽を確かめる私に、
「上司の評価に関わるのは、パワハラ等が退職理由に関わっていた時だけだよ」
そうWさんは優しく言った。

それならば、いい。何も言うまい。
だって、私が辞めるのは、自分にここで90周走る力がなかったからだ。
自分にとって大切なこの場所に、暗いものを残していきたくない。
私のこれから先の道を輝かせるためにも。

「それなら、大丈夫です。私の退職理由は、以上です」
そう言って、
お世話になりました、ありがとうございました、と頭を下げた。

 * * *

4月いっぱいでプロジェクトの仕事の引継ぎも終わり、
「あとは年休消化に充てて、好きな時に会社に来ればいいよ」
と優しい上司のA村さんに言ってもらった私は、
5月20日の退職日まで、毎日好きな時間に会社に行っては、
たくさんの人達にメールを書いた。

一番最初に辞めることを伝えたのは、ウィキWGのメンバー達だった。

「会社を良くするために一緒に社員名鑑Wikiを作ろう!」
と言う私の呼びかけに集まって、協力してくれた彼らからの反応が
私は一番怖かった。
この、裏切り者。と無視されるのも覚悟していた。

だけど、返ってきたのは、暖かな言葉の数々だった。

勇気を得た私は、
私をハード部署へ導いてくれた同期のIちゃん、Yちゃん、
ES委員会のみんな、
センターのみんな、
経営層の面々、
etc..
順々に、たくさんの人達へメールを書いていった。

そうして、一番最後、
全社員宛てのメールを書く段になった。
(半年前に再合併して2000人規模の会社になっていたので、
 正確にはその合併前の全社員約400名宛て)

「いい会社にしよう!」
と先頭を切って走っていた私が辞めるのだ。
何を書くか、とても考えた。


自分に90周走る力がなかった。
この場所で、これ以上、自分は活きていけない。

その確信は全く揺らがなかったけれど、
割り切れない気持ちがあったのも事実だ。

ここまで、1つ1つのメールを書いていく中で、
たくさんの思い出と、暖かな気持ちと、
どうしようもない悔しさが溢れた。


K部長やAさんのような人がいることも、
面倒ごとから顔を背ける人達がいることも、
誰かに寄りかかろうとする人達がいることも、
変な行き違いの起こってしまうことも、
会社なんだから、人間なんだから、仕方ない。

だけど、会社っていうのは、
そういう、しょうもない人達が集まりながらも、
うまく補い合いながら、結果としてうまくいくように
するための仕組みじゃないのかい?

それなのに、どうして今回、
そのしょうもなさ、弱さを、
私に押し付けるような形に、なってしまったんだい?
この会社に、たくさんの愛情を注いでやってきた私に。

私なら大丈夫だろう。
と、能天気に構えて。

愛情があったからこそ、憎む気持ちも、やっぱりあった。
誰か特定の個人ではなく、
この会社というものに対して。


愛情と割り切れなさがないまぜになった頭で、考えまくって、
みんなに残していくものはこれにしよう、と決めた。

希望と課題を。

たくさんの可能性の見えた場所だった。

たくさんの人達と交わって、
視野が広がって、視座を上げさせてもらった。

素敵な人達がたくさんいるのも知っている。

一般社員だって何だって、できることはいくらでもある、
会社を変えることはできる。
そう確信させてくれた場所だった。

だけど、やっぱり、課題もあるよね。
この課題が解決していたら、私は辞めなかったよ。

でも、良い会社っていうのは、
問題のない会社のことではなく、
問題を解決していこうとする力のある会社のことだと思うから。

あなた達には、その力がある。

そんな想いを込めて書いたメールを、全社員に宛てて送った。


たくさんの人達から、たくさんの暖かな返事をもらった。

私から色々なものを受け取っていたよ、ちゃんと届いていたよ、
そんなメッセージが綴られていた。
そして、そんな私のこの先の未来が明るくあるようにと、
暖かく願ってくれていた。

それらの言葉が、
きらきらと光る欠片になって、私の足元に道を作っていった。


どの言葉もかけがえなくて、順列など付けられないけれど、
一番嬉しかったものを、ここに挙げることを許してほしい。

それは若手社員のIくんからのメールだった。

『Satoさんには、ボウリング大会の計画で大変お世話になりました。
 しかし私が同じくらいよく覚えているのが
 次の配属PJがなかなか決まらず、本社で自主学習に勤しんでいた時、
 「Wikiのツール作成を手伝ってみる?」と声をかけられ、
 お手伝いをさせていただいたことです。
 なかなか仕事が見つからず、かるーく凹んでいた当時の私は目的を
 いただき、目をかけていただいたことに大変救われました』

私が社内を歩き回って、
「こっちの課題と、あっちの課題を組み合わせて、うまく解決できないかな~」
と、やっていた頃のことだ。

人事部のフロアの一角で、当時2年目だったIくんが、
毎日自習をしているのに気がついた。
声をかけて聞いてみると、プロジェクトから出されて、
仕事がなくて毎日自習しているとのことだった。

私も社会人1年目の時に、新人研修を終えた配属直後、
3ヶ月間、ずっと毎日、「自習してて」と言われ続けて辛かった過去があった。

上司や先輩が忙しすぎて、新人の相手をしていられない、
というだけの事情なのだが、
「自分の振る舞いに問題があるんだろうか…」
と不安になるし、会社や学生時代の同期たちと飲むたびに、
忙しくしながらも社会人としての経験をどんどん積んでいっている
彼らと比較して焦りを覚えるのだ。

だから、もしかしたら、
Iくんも同じような不安を抱えているかもしれないなと思い、
ちょうどWikiで欲しかったツールがあったので、
人事部長のH林さんに許可をもらって、
Iくんにツール作成をお願いしたのだ。

たぶんこれは、私が会社の中でやった、たくさんのES活動の中で、
もっともささやかな、私とIくんだけが知っているES活動だ。


Iくんから思いがけず届いたメールの何が嬉しかったかといえば、
それが、ささやかなES活動であることに気が付いてくれて、
華々しく大々的なボウリング大会と並んで、もしかしたらそれ以上に、
彼にとって大きなものだった、と言ってくれたことだ。

私は、誰にでもわかる、華々しかったり、大きかったりするものよりも、
道端に小さく咲いている、
多くの人が気づかずに通り過ぎてしまうタンポポのような、
当たり前にある、ささやかな、だけど、
たった一人でもいいから、誰かにとって、
かけがえのないものが好きなのだ。

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 * * *

たくさんの人達からの暖かなメールで元気になっていった私は、
退職日までの毎夜、誰かしらに、
「私を送別して!」と声をかけて、図々しく送別会を開いてもらいまくった。

一滴の涙もない、笑顔だらけの送別会だった。

笑顔じゃないと人が離れていくから、と怯えていたのではない。

笑顔でいたかったのだ。
笑顔を残していきたかったのだ。
私とみんなのこの先の道を、
私とみんなの笑顔で照らしていきたかったのだ。


たくさんの笑顔と、
たくさんの花束と、たくさんの色紙をもらって。

色紙には、いくつかの「ここは直しましょう」のコメントも付いていたりして。
送別の色紙に、そんなコメントが書かれているのも、
私らしいなぁ、と、また笑い。

まるで、11年間の通知表を受け取っているみたいだな、と思った。

『よくがんばりました。
 笑顔と元気が素敵です。
 ここを直せば、もっともっと良くなるでしょう。
 これからも、がんばってください』

暖かな、暖かな、
私の11年間の通知表。


そうして、2014年5月20日
私は、11年間勤めた会社を退職した。

(つづく)


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