"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 前編 vol.6

<前回のあらすじ>
根本的な仕様に問題のあるシステムを前任者から引き継いだ私は
怒りを抱えながら、体調を崩していった。

前回→"好き"と"関心"を巡る冒険 第二章 前編 vol.5 - Sato’s Diary
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不調をきたしていく体を抱えながら
プロジェクトリーダーを務めていた私は、
たまに訪れる体調の良い日に、一気に仕事を進めていた。

だけれど、
2010年1月中旬のある日。

「今日は体調が良いから、仕事を進められるな」
朝、そう思い、軽快に仕事を進めていたが、
昼過ぎにはガタガタと悪寒が襲って来て、
まともに仕事ができる状態ではなくなった。

3月末がリリース予定で、あともう一息だった。
だけど、たった数時間後の自分の体調すら予測できない。

そうして、私はようやく、
リーダーを降りる決断をする。

 * * *

色々苦しんだプロジェクトだったが、
「リーダーとは何なのか」
をとても学ばされたプロジェクトでもあった。

リーダーは私だったが、
プロジェクトのメンバーに諸先輩方がおり、
プロジェクトの進め方に関する知識も、
現行システムに関する知識も、
私よりも先輩たちの方がたくさん持っていた。

「aを選ぶか、bを選ぶか」
何が最善なのか判断の難しいプロジェクトの中で、
毎日、たくさんの選択を突きつけられた。

私が悩むたびに、
先輩たちは、自分たちの見解を述べてくれた。
だけど、最後の決断は、いつも私に委ねられた。

「じゃあ、aにします…」
悩みながらそう決めると、
「え~、本当にaでいいの?」
さっきaを勧めていたはずのAさんが、にやにや笑いながら言った。
「aじゃ駄目なんですか?」
そう尋ねると、
「いやいや、Satoさんがaにするっていうなら、私は従いますよ~」
笑いながらAさんが言う。
「……aで行きます」

そんなやり取りの繰り返しだった。

(なんで誰も決めてくれないんだろう…。
 私よりもたくさんの知見や判断材料を持った人たちがいるのに、
 どうして私が決めるのだろう?)

そう思った。

もう一つの選択肢を選んでおけば良かったな、
と後から思うこともあった。
だけど、どんな結果になっても、先輩たちが私を責めることは決してなく、
ずっと決断を私に任せ続けて、
私が選んだ選択が何であっても、文句を言うことなく必ず従ってくれた。

やがて、私は理解した。

私に決断が委ねられているのは、私がリーダーだからだ。
プロジェクトの方向性を定めて、
その針路に沿った決断をしていくことが、リーダーの仕事だからなのだと。

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悩み抜いてようやくひとつ決断しても、
またすぐに新たな選択が突きつけられる日々の中で、
(もう誰か代わりに決めてよ!)
泣きそうな気持ちでそう言いたくなるのをこらえて、
私は、リーダーの仕事をこなしていった。

 * * *

プロジェクトが抱える根本的な問題に、途方に暮れて怒り泣くたびに、
「じゃあ、リーダーを降りる?」
とS課長が尋ね、それに対して、
「無責任にリーダーを投げ出すことはできません」
と言い続けていた私だった。

自分にこのプロジェクトを押しつけて行った人と、
同じことをする人間にだけは、
絶対になりたくない。

不調をきたしていく日々の中で、
その気持ちだけが、私を支え続けていた。

だけど、
たった数時間後の自分の体調すら予測できない状態となり、
そんな人間が、責任を持ってリーダーを遂行することなんて、
できないだろう、と悟り。


「プロジェクトのために最善と思う判断をしていくこと」

それが私がこのプロジェクトで学んだ、リーダーの役割だった。

だったら、
自分がプロジェクトを推進するのに不適格だと判断したならば、
リーダーを降りるという決断を下すことが、
リーダーとして最後に果たせる責任であり、役割だろう。


2008年からやり続けてきたプロジェクトの、
リリースまで残りわずか2ヶ月半となった
2010年1月中旬。
私は課長にリーダーを降りたい旨を申し出た。

私がリーダーを降りる決断に至った考えを伝えると、
「うん、そうだね」
とS課長は相槌を打ち、
すぐにメンバーのY崎さんをリーダーにアサインし、
Y崎さんも「いいよ」と
すぐにリーダーを引き受けてくれた。

私は引き続きメンバーとして残り、
3月末のリリースを終えたところで、
2ヶ月間、休職させてもらうことにした。


しかし、この後、
親会社とお客さんの間での調整が進まなかったことから、
最終テスト工程に入ることができないまま3月が終わり、
システムのリリースを見届けることなく、
私はY崎さんに後を託して、休職に入ることになった。

やがて同じ顧客の別のプロジェクトが炎上し、
それに伴い、このシステムのリリースは、
そのまま有耶無耶となる。

 * * *

「いやぁ、資料を見てみたけど、
 あれはやっぱりリリースしない方がいいね。
 今回の炎上のどさくさに紛れさせて、お蔵入りさせることにしたよ」

プロジェクトが炎上して、「お前では駄目だ」とS課長が飛ばされ、
代わりに、客先のプロジェクトの面倒をまとめて見ることになったK部長は、
1年後、面談の席で笑いながら私にそう言った。

(リリースしない、という手もあるなら、
 もっと早くに言って欲しかったなぁ…)

K部長の言葉を聞きながら、私は思った。

プロジェクトリーダーをやっていた頃、
私はK部長に会うたびに、
システムの仕様に根本的な問題があって悩んでいることを伝えていたが、
「それよりも、研修受けに行く時間ない?
 仕事と体調が大変なことはわかってるけどさ」
私の話は右から左に聞き流し、私の研修受講予定ばかりを彼は気に掛けていた。

こうして、
私が体調を崩しながらも2年間やってきたプロジェクトは、
リリースされることなく、終わりを迎える。

 * * *

この2年間のプロジェクトでの上司だったS課長は、
ちょっと頼りなくて、物事を決めきれず、
悲観的な物言いをするわりに、
目の前の仕事に対しては、根拠のない楽観視をする人で、
書類は全く片づけられず、うず高く積まれた書類に囲まれながら、
仕事を抱え込んでは最終的なしわ寄せを部下に寄越す人で。

当時の私は、彼に対してよくイラついては、
キツい物言いをしていた。

「後輩やお客さんに接する時のように、
 俺にももうちょっと優しく接してほしい」
そうこぼすS課長に、
(上司が何を甘えたことを言ってるんだ)
なんて思ったりしていた。

そんな態度の部下だったにも関わらず、
S課長は成果評価で私に、A評価をつけてくれていた。
だけど、他人から下される評価に
さして興味のなかった、その頃の私は、
「こんな外れクジのプロジェクトを頑張ってやってるんだから、
 A評価なんて当たり前でしょ」
くらいに思っていた。

仕事を頑張ってやっていることを、
評価ポイントにする上司ばかりでは必ずしもない、
ということを、この時の私はまだ知らなかったから。


『評価とは何か』
今の私は理解している。

評価とは、価値観だ。
その会社の、その上司の、価値観だ。


どれだけ頑張っても、良いシステムにできない。
マシなシステムにすることまでしかできない。

30年もののシステムのソースコードを紐解いて、
有識者全員を巻き込んで、
たくさんの時間を使って、そこまでやって、
自分は単にボロボロの風呂敷を広げただけなんじゃないか。

そう悩み苦しんでいた私に、

それでいいのだと。
たとえ良いシステムにできなくても、
どうしようもないところから、少しでも
マシなシステムにすることに価値があるのだと。

そういうメッセージを伝えてくれていたのだ。


そして今、振り返って、
S課長が、最初から最後まで、
私の意志を尊重してくれていたことにも気づく。

「今のままじゃ何が正しいのか判断できないので、
 現行システムのソースコードを読み解く時間をください」
と言う私に、すぐにOKをくれ、
どれだけ体調を崩していっても、
「リーダーを降りる?」と尋ねはしても、
私から言い出すまでは決してリーダーから降ろすことはなく、
けれど、私が「リーダーを降りたい」と言ったら、
即座に応じてくれた。


もしも今、私がS課長の立場にいて、
体調を崩しながらも、無理してリーダーを務め続ける部下がいたとしたら、
リーダーを降りることは無責任なことではない、と諭して、
リーダーから降ろすだろう。

だけどもしもあの時、S課長が私にそうしていたら、
きっと今の私はいないだろう。

頼りなげなS課長と、優しい先輩たちの元で
『リーダーとは何なのか』
を考え抜いて、
導き出した自分の答えで、自分の意志で、
「リーダーが果たせる最後の責任として、リーダーを降りる」
という決断を下すことができたから。

だからこそ、
その後も、今も、
堂々とリーダーをやっていける私がいるのだ。


(つづく)

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