“好き”と“関心”を巡る冒険 第一章 vol.2

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意気揚々と社会人になったけれど、会社や仕事に楽しさを感じることができず、
転職するかどうか、システムエンジニアを続けるかどうか、
3年後に答えを出すことに決めた私は、それからほどなくして、
自分の"これから"を決めるプロジェクトに出会った。


それは、言語解析システムの新規開発プロジェクトだった。
社会人2年目の冬、
スターティングメンバーとして、
プロジェクトリーダーとなる先輩と、私の二人が選ばれて、
部長と先輩、協力会社のベテラン社員と、親会社の社員数名で、
長野の客先に打ち合わせに行った。

初回の打ち合わせは、正直、何の話をしているかわからず、眠気と戦っていたのだが、
帰り道、打ち合わせに行ったメンバーで居酒屋に入ったところで、
隣りに座っていた親会社の年配社員が、
「うーん、わからない…」
と、何かの紙を見ながら頭を抱えているのに気がついた。

「なんですか、それ?」
覗き込むと、それは、今回のシステムの解析対象となる文書のコピーだった。
「この文章から、この情報とこの情報を抽出して、これこれこうして…
 ていうのが要件なんだけど、どうすればいいのか、さっぱりわからない」
と、彼は頭を抱えて言った。
「へー、なんか面白そうですね。ちょっと見せてもらっていいですか?」
特定のパターンを見つけ出すことや、アルゴリズムを考えるのが好きな私は、
彼から紙を借りて、ふむふむ、と考え始めた。

「この文章は、こういうルールがあるから、ここをこうして…
 それでこんな風にすれば、いけるんじゃないですか?」
しばらく考えてから、見つけ出したルールと解析方法について説明すると、
「じゃあ、君これやる?」
そう言われた。
「え。いいんですか?」

そんな軽い流れで、私がその機能を担当することになった。


とはいえ、まだシステム開発の"いろは"もよくわかっていない2年目社員。
普通に先輩の下で、いちメンバーとして、その機能を担当するのだと考えていた。

が、次の打ち合わせの日。
全体ミーティングの後、
担当機能ごとに少人数に分かれてミーティングすることになり、
なぜか私は、協力会社のベテラン男性と2人っきりで
お客さんと打ち合わせすることになった。

え?先輩も部長も親会社の社員も、誰も付いてきてくれないの??
「協力会社のSさんは、ベテランだから大丈夫だよ」
軽く言われて送られた。


さて。その打ち合わせがどうだったかというと、
ガン無視である。
お客さん、私のことガン無視。

持ってきた資料について私が説明した後、
その内容については完全にスルーして、私の隣りのベテランSさんに話しかけ始めた。
私が途中でちょっと何かを言ってみても、完全スルー。
そこに私がおらず、Sさんのみがいるかのような
そんな感じだった。

打ち合わせが終わり、他の人たちはまだ打ち合わせが終わらなそうとのことで、
ベテラン男性と帰路につく。長野駅についたところで、
「すみません、ちょっと私、トイレに行くんで、先に新幹線に乗っててください」
何となく気遣わしげにしてくれているSさんにそう言って別れて、
駅のトイレでひとり泣いた。


翌日。
(新人の私が、先輩のいない状態でお客さんとやり取りするとか、
 やっぱり無理だよな…)
へこたれた私は、先輩の下で普通に働くポジションに戻してもらえないかと思い、
「人、足りてますか?」
と先輩に尋ねに行った。

「やっぱり大変だから、自分のところの仕事をやってほしい」
みたいに言ってくれないだろうか。
そんな期待を密かにするも、
「ん?大丈夫だよ」
既に新しいメンバーがチームに入っていた先輩は、あっさりそう答えた。


仕方なく、次の打ち合わせに持っていく資料を作り始める。
次の打ち合わせに持っていく資料は、ユーザーインタフェース仕様書。
ユーザー目線のシステムの振る舞いについて説明する資料である。

半年前に経験した仕事で、ユーザーインタフェース設計書として、
画面設計書を書いたことがあった。
あれと似たようなものを書けばいいのだろうか。
だけど、私が今回担当するのはシステムの裏で動くバッチシステム。画面はない。
一体何を書けばいいのだろうか…。
途方に暮れる。

(またあんな打ち合わせになるのかな。やだな…)
鬱々とした気分になりながら、
何を書けばいいのかさっぱりわからないです、と先輩と部長に相談したら、
「君の頭の中にあることを書けばいいよ。
 君がどうやってプログラムを作ろうとしているのか書いてみなよ」
と言われた。

解析対象となる文書は、書き方のルールが事細かに定められた某専門文書で、
ルールについて書かれた専門書まであるくらいで、
その専門書が参考書籍としてプロジェクトメンバーに配られていた。
私はその本を端から読んで、その中に出てくる文章を使って、
「たとえばこの文章だったら、こうこうこういう風にして、こうやって解析します」
ていうことを、ひたすら長々と書き綴った資料を作った。

その資料が、本来求められているものに合致する代物には全く思えなかったが、
その時の私に作れるものはそれだけだったので、ひたすら書いた。


そして、打ち合わせの日。
その日は、全体会議の中で私の資料を説明することになった。
(こんな思いっきり細かなプログラムの内容とか話されても、みんな困るよね…)
内心そう思いながら、資料をとつとつと読む。
周りの人達の反応が怖くて、資料を読んでいる間、顔を上げられなかった。
それでもとにかく最後まで読みきって、そーっと顔を上げた。
静まり返った部屋。
(あぁ、みんな反応に困ってる…)
そう思ったが、一拍置いた後、お客さんの一人がひとこと言った。
「素晴らしい」

え?
お客さんのセリフを聞いて最初、戸惑った。
プログラムっぽいことを書いてしまったせいで、
なんか凄そうなことが書いているように勘違いさせてしまったのだろうか?
そう思った。

だけど、そこから、
「じゃあ、こういうケースはどうすればいいんだ?」
別のお客さんから質問され、
「あ、それは、○○して…」
と答えると、さらに別のお客さんが、
「あぁ、なるほど。じゃあ、これは?」
「あ、それは…」
そんな風にお客さんたちとワイワイとやり取りが始まった。
その中には、前回の打合せで私を無視していたお客さんも加わっていて。


そこからだった。
私が走り始めたのは。


開発が本格的に始まると、
顧客を含めた主要メンバーが集まって全体仕様を検討する打ち合わせが行われ、
そこに私も参加することになった。

朝から晩まであーでもない、こーでもない、と参加者が議論しているのを、
最初はよくわからなかったので、端でただ聞いていた。
だけどしばらくするうちに、
毎回、議論が空中戦の堂々巡りを繰り返しているような気がして、
ある日、議論の内容を図で整理して、
「いつも話し合っていること、こういうことですよね?
 それで問題になっているのはここですよね?」
と先輩に見せると、
「この資料、いいね。次の打合せは、これを使おう」
と言われて、その資料をベースに打ち合わせが進められるようになった。


社会人たった2年目の自分のアイデアや言葉に、
お客さんやプロジェクトの関係者が耳を傾けたり、意見を求めてくれることが、
とても嬉しかった。
みんなと議論するのが楽しくて、
課題に直面するたびに、どうすれば解決するのか、
ひたすら考えて、みんなとの議論に加わった。


いつしか私は、一機能の担当者ではなく、
システムのバックエンド側の全体設計を担うようになり、
最大時で50人規模になるプロジェクトのキーパーソンになっていた。


お客さん含めて、プロジェクトの関係者にはアクの強い人が多く、
打ち合わせの最中に、半ば険悪なやり取りになることも、時にあった。
だけど、そういうことも含めて楽しかった。
関係者それぞれが利害のある中で、それを含めて、
開発者もお客さんも一緒になって、システムの最適解を考え抜くこと。

これがシステムエンジニアの仕事なんだな。
私はこの仕事が大好きだな。
そう思った。


いつのまにか季節は、社会人3年目の夏に移り変わっていた。

きっと、こうして喧々囂々やり合う日々を越えて、
プロジェクトが終わる時には、みんなで「お疲れ!」と笑顔で乾杯し合うんだろう。
その日を夢見て、私は全力疾走していた。

(つづく)


<余談>
ちなみに、ガン無視されたお客さんとは、その後とても仲良くなり、
後に当初を振り返ってこう言われた。
「だってお前、最初の打ち合わせの時、寝てただろ。
 だから話を聞く気になれなかったんだよ」
まぁ、もっともである。


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