“好き”は仕事にできるのか? vol.3

前回の話→“好き”は仕事にできるのか? vol.2 - Sato’s Diary
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前回書いたように、
紆余曲折を経てシステムエンジニアに就職したわけだけど、
社会人になってからの話を書く前に、大学4年の研究室時代の話を書こうと思う。


ドラえもんを作る」目的で機械工学科を選んだ私は、
当初の目的通り、4年次には二足歩行ロボットの研究室に無事入った。

研究室は研究テーマごとにチームに分かれていて、
私が興味があったのは、ドラえもんの四次元ポケットではなく、
「心」の部分、認知心理学ニューラルネットワークに関する部分だったので、
これを扱っていた福祉チームに入った。

この研究室で過ごした1年の中で、
今の自分に繋がる大きな気づきが2つある。

気づき1)人間は好き嫌いがあるから、協力できるし棲み分けられる

ある日、私は二足歩行チームに配属された同期と会話していた。
二足歩行チームというのは、
日がな一日、机に向かって、ひたすら微積分の計算を繰り返して、
数か月に渡って計算しつづけた結果として、ロボットを数十秒動かすだけ、
というチームだったので、その同期のことを私は、
「外れクジを引いて可哀そうだな」
と、それまで思っていた。

だから、この日、その同期からこう言われて、
すんごいびっくりした。
「いや、俺はこれがすごく面白いんだよ。計算がうまくいったときの快感が堪らない。
 俺からしたら、君がやっている心なんていうテーマの方こそ
 何が面白いのかわからない。
 そんな影も形も、正解も何もわからないものの、何がそんなに面白いの?」

"自分の好きなものが、相手も好きとは限らない"
ということは、この頃には既に理解していたが、
"自分の嫌いなものを好きだと思う人間がいる"
ということを知ったのはこの時だった。

目を丸くしている私の前で、同期は楽しそうに話を続けた。
「俺、ロボットの何が面白いかって言ったら、
 そういう全然興味関心の異なる人間が、
 それぞれの興味関心の元に研究した技術が集まって、
 1つのロボットが動くことなんだよね。

 画像チームのOちゃんが研究した画像認識の技術で認識した画像を元に、
 IBチームのMちゃんが研究した行動生成の技術や、
 君の研究した心の技術でロボットの行動を決めて、
 俺の計算した二足歩行の技術でロボットが動いたら、
 って考えると、とても面白くない?」

言われて、あぁ、それは確かに面白そうだな、と思った。
人間の好き嫌いって、こうやって協力したり棲み分けたりするために、
なんだかうまく割り振られているのかもな、と思った。

気づき2)自分の人生は、自分で死守しなければいけない

希望の研究室に入り、希望のチームに配属になり、
じゃあ、希望する研究ができたかというと、実はNoである。
なぜかというと、最後の最後で人に譲ってしまったからである。

理系の研究室は研究にお金がかかり、学校からの資金だけでは賄えないので、
企業と連携したり何やりして資金を手に入れる。
そのためのアピール材料だったり成果だったりを考慮して
研究テーマは決められるので、研究テーマには枠がある。
2人の学生が同じ研究テーマをやります、ていうのは無いのである。

で。研究テーマ決めの時に、私がやりたいと思っていた、
「心(ニューラルネットワーク)」の研究テーマを希望する学生として、
私ともう一人が手を挙げた。

そのもう一人は、以前に学内でちょっと問題を起こしたことのある学生で、
私と彼が手を挙げた時、教授が
「彼の希望する研究テーマを彼に与えて、穏便に済ましたい」
という雰囲気を出しているように感じ取った。
実際にどうだったかはわからない。ただ、その時の私はそう感じた。

それで、私は引いたのだ。
希望する研究室に入って、尊敬する教授の元について、
教授からもそれなりに気に入られている。
だったら、ここで引いても、きっと楽しい研究テーマを担当できるだろう。
そう思ったのだ。

そして、教授が私の研究テーマとして考えて割り当てたものは、
それなりに面白そうなものに感じて、「じゃあ、それにします」と答えた。

研究テーマ決めの打合せが終わった後、廊下でチームリーダーの先輩に
「本当にあれでいいの? あのテーマ、たぶんすごく難しいよ」
と声を掛けられた。
「いいですよ。大丈夫ですよ」
教授が研究テーマについて語っていた話は面白そうだったから、
大丈夫、大丈夫。
そんな感じに気楽に構えていた。


だけれど、そこからは大変だった。

具体的に何をすればいいのかわからない。
どこへ向かえばいいのかわからない。
毎日、教授の部屋に行って、アドバイスをもらいながら
次のアクションを決めていたが、
当初やろうとしていたことからはスケールダウンし、
具体的にやることとしてようやく定めた内容には、
「これは果たして研究と呼べるんだろうか…」
と感じていた。

「お前のやっていることは研究じゃない」
中間発表後の打ち上げ飲み会で、先輩の一人にそう言われた。
それを聞いた教授や私の同期に、その先輩は逆に怒られていたが、
先輩の言っている通りだよな、と私自身は思っていた。

そうして自分のやっていることに何の自信も持てないまま、
ひたすら教授に相談しては励まされながら、辛うじて一歩ずつ研究を進めていたが、
そのうちに、あることがあって、教授にも相談することができなくなった。


冬。
先輩から赤だらけで返される卒論を修正しながら、
自分の研究の目的って何なんだろう、意義って何なんだろう、
と悩み続けていた。
私の研究は、先輩たちからボロクソに言われるか、苦笑されるか、
からかわれるかだった。
一人の先輩だけが、
「あなたはすごく頑張っている。自分たちのことを棚に上げて、
 勝手なことを言っている人間の言うことなんて気にするな」
と励ましてくれて、私の研究テーマに近い仕事をしている彼女のお父さんを呼んで
インタビューさせてくれたりした。

だけど私は思った。
あの時、引かなければ、と。
もしもあの時、研究テーマを譲らず、
今自分がやっているのが、自分が心からやりたいと思っていた研究だったらば、
たとえ誰からボロカスに言われようと、私は今こんなに苦しんでいなかっただろう、と。
私が私自身の研究に意義を見出していないから、だからこそ、今こんなに苦しいんだ。


人生の中でたった一度の大学4年という時間。
社会のしがらみに捉われずに過ごす最後の時間。
その時間を、仲間と一緒にワイワイ笑いながら、自分のやりたいロボットの研究に
熱中することを夢見ていた。
決して取り返すことのできない夢。

私がこれまでの40年の人生の中でした後悔は2つだけである。
そして、そのうちの1つがこの後悔だ。


自分の人生は、自分で死守しないといけない。
ここに来たから大丈夫。この人の元にいれば大丈夫。
そんな甘ったるい考えに委ねたから、私の夢は吹き飛ばされたんだ。
自分が守りたいもの、本当に大切なものは、
自分の手でしっかり守り抜かないといけないんだ。

それが、私が大学4年の時に、夢と引き換えに得た、一番の学びだった。

研究について、ほんの少しの後日談1

卒業後も、ロボットに関する論文や記事を、拭えない悔しさと共に読んだりしながら、
私はずっと自分のした研究の意義について、ことあるごとに考え続けていた。

4年ぐらいしたある日、ふと、
「あぁ、そうか。こういう意義があったんだ」
と腹落ちした。

私の研究テーマは、少し時代を先取りしていて、あと5,6年くらい後だったら、
それなりに人から認知されるものだった。
時代を先読みした教授が、私ならば、と与えた研究テーマだったんだな、と理解した。

私のやった手法は穴だらけで、堂々と胸を張ることはやっぱりできないけれど、
それでも砂粒1粒ほどの意義を、自分の中で自分の言葉で見出すことができた。

研究について、ほんの少しの後日談2

やりたかった研究のできなかった私は、
卒論提出後、学生たちがほとんど来なくなった研究室で、
卒業までの間、やりたかった研究の関連論文を読み漁った。

それが何かの実りに繋がったわけでは今のところないけれど、
数年前、機械学習が騒がれ始めた頃、
エンジニア向けの講座に行ったり、関連本を読んだりして、
自分があの時に読み漁って得た知識と繋がっていることを確認した。

研究は、1つずつの積み重ね。
積み重ねの歴史を理解した上で、そこから新たな技術を積み重ねていくことができる。
だから、あの時、論文を読み漁っていた行為は、無駄ではなかったのだと思った。


卒業して11年が経った頃、自分の気持ちにようやく区切りがついていることを
確認して、教授が移籍した先の研究室に同期と遊びに行った。
教授はあいにく急用で留守だったが、
学生が楽しそうにロボットを作っているのを見かけた。
その学生を見た時、以前だったら沸き上がっただろう妬みや悔しさはなく、代わりに、
「あ。老後に私も作ろう」
と、すとん、と力が抜けたように思った。
今は仕事が面白いからロボットの方には行けないけど、
老後に自分の面倒を見てくれるロボットを自分で作るとか、面白そうじゃない? と。


大学とか研究とか会社だとか、そんな形に捉われず、
どこでだって、どんな形だって、やりたいことはやろうと思えばできる。
取り返すことのできないと思っていたものも、
本当にそれを望むなら、形を変えて取り戻すことができる。

今の私は、それを知っている。


次の話→“好き”は仕事にできるのか? vol.4 - Sato’s Diary
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