幽霊人命救助隊

幽霊人命救助隊 (文春文庫)

幽霊人命救助隊 (文春文庫)

「自殺」という難しいテーマに真っ向から挑んだお話。


主人公は自殺した幽霊たち。
老ヤクザ、優しいけれど気弱な中年男性、無気力な若い女性、浪人青年。
天国行きの条件に、神様から自殺志願者100人の命を救うことを命じられ、
彼らは地上に戻って救助作戦を開始する――。


テンポ良く、笑いを交えて進む物語に、
一気に最後まで読み進ませられた。

日本人は生真面目な話題を語るのが上手でない。
江戸時代は、落語という形態を取ることで、
「貧乏」や「死」というテーマを、うまく扱っていた。

解説で養老孟司さんが言っていて、なるほどなぁ、と思った。


この本は、本当に最初から最後まで、
軽快に物語が進む。
でも、「自殺」という主題そのものに対しては、
何ひとつ、ちゃかすことなく、真っ向から向き合っている。


医者にかかりさえすれば、鬱は治る、ていう、
その部分だけは、ちょっと安直かな、と思ったけど、
それ以外は、う〜む・・・、て
すごく考えさせられた。


同情の余地のない犯罪者を自殺から救うべきか?
病におかされて苦しんでいて、
先も長くない老人を自殺から救うべきか?


主人公たちは悩みながらも、ただ、救い続ける。
明確な理由は見つけられない。
でも、ただ、一人の例外もなく救う。
ただ、それだけ。


「頑張らなくていい、ただ、寿命が来るのを待つだけでいい。
 生きてください」


自殺がなぜいけないのか、小説の中で明快な答えは出ない。
でも、解説の中で、養老孟司さんが言っている言葉で、
なるほどな、と思った。

あなたが死んだことを確認できるのは、あなたではない。
あなたが確認できるのは、自分が生きていることだけである。
あなたの死で最大の影響を受けるのは、あなたではない。
家族であり、友人である。

人は自分の未来――1年後かもしれないし、1秒後かもしれない――のために、
今の行動を選択しなくてはいけない。
だけど、自殺という選択は、その先に自分がいないんだ。
「苦しい自分を救うために」自殺をしたとしても、
その先に、「救われた自分」はいないんだ。
「自分が嫌で仕方なくて、いっそ自分のいない世界になってしまえ」と思って自殺したとしても、
その「自分のいない世界」を味わう自分はいないんだ。


もう、どうにもならない。
そう思うことはある。
疲れ果てて、ドン詰まって、
この先に、これ以上、自分は何を夢見るんだろう?
そう、絶望することはある。


でも、それは幻想なんだ。


「未来が定まっていない以上、すべての絶望は勘違いである」
老年性うつ病で自殺してしまった老ヤクザ幽霊の八木さんの言葉。


本当は、選択肢はいっぱいある。
それに気付きさえずれば、心は軽くなるんだ。


だけど、疲れてしまうと、
それが見えなくなってしまう。
周りの人の、些細な言動すら、
全て、悪いように捉えてしまったり。


「人と人との結びつき、心身の健康、そして経済。
 この三拍子がそろっていれば、誰も自殺なんかしなくなるのではないか。
 逆に言うと、どれか一つが傷ついた途端、人の心は試されることになる。
 この世を好きなままでいられますか、と」
両親からのプレッシャーに潰れて自殺してしまった浪人幽霊の裕一くんが
思い至ったこと。
その通りだろう、と思う。


「生きている間には、どうしたって打ち勝つことのできない困難が何度も来るんです。
 そんな時は、逃げるのが一番の強さです」
でも私は逃げれなかった、と
借金苦で自殺してしまった幽霊・市川さんの後悔の言葉。


時には逃げることも必要。それは確か。
でも、どこまでが乗り越えられる困難で、どこからが乗り越えられない困難なのか。
その境界がわからなくて、
それで、困難に立ち向かう派は、
「無責任に逃げるべきじゃない、
 きちんと立ち向かうべきだ」
って、逃げる選択をできずに、いつしか壊れてしまう。


でも、
こう生きるべきだ、ていう
「あるべき生き方」なんて、本当はなくて。
ただ、寿命がくるその時まで、
この世に在り続けること。
それさえできれば、たぶん◎で。


「色々、滅茶苦茶になってしまったけど、
 とりあえず、まぁ、この世に在り続ければいいか」
て、そんな風に構えることができれば、
きっと、いつか、また、
色んな選択肢の見えてくる日は来るはずで。


『柳のように生きなさい』
そんな言葉があったと思うけど、
こういうことなのかもしれない。




まとまりはないんだけど、
なんか、そういうことを、
すっごい軽快に一気に読まされた後に、
色々と考えさせられた、そんな深いお話でした。