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『天璋院篤姫』を読み終えて

ちょっと前に読み終えた『天璋院篤姫』の感想を。


新装版 天璋院篤姫(上) (講談社文庫)
新装版 天璋院篤姫(上) (講談社文庫)

新装版 天璋院篤姫(下) (講談社文庫)
新装版 天璋院篤姫(下) (講談社文庫)

読みながら思ったのは、
篤姫の偉大さを物語るエピソードが全体的に不足してるかな〜、
ということ。
なんか具体的な話はそんなにないのに、いつのまにかみんなから敬われていた、という感じになっていて。
史実として実際に大奥を束ねていたわけだから、人心を集める何かは確かにあったのだろうけど、
小説ではそこが描き切れていなかったように思った。
別にドラマのように「何もかも篤姫様のお陰」という風にしてほしいわけではないけど。


小説では、どちらかというと、宮さまの気持ちの方が何となくわかって、
何かにつけて自分と同じようにあるべき、と押しつける感じの篤姫や周りの人が、
正直嫌かなぁ・・・なんて思ったり。


と、そんなことを感じながら読んでいたのだけど。


でも、読み終わった後、巻末の宮尾さんと綱淵さんの対談を読んで、
なるほどな、と納得。


歴史の資料っていうと、基本的に女性に関する資料が極めて少ない。
和宮に関しては例外的に結構あるのだけど、
ただ、それは、「江戸ではひどく苛められて……」という
類のものばかりで。


そういう状況下で、
それは違うだろう、
と、宮尾さんは、言うなれば圧倒的な和宮派に対抗する篤姫派として筆を執ったそうで。


だけど、いざ、書こうとしても、やっぱり篤姫に関する資料は少なくて、
集められるだけ何とか集めて、
そのぎりぎりの資料で、篤姫の人生を描いたわけで。


エピソードが物足りないのも、
和宮に対して、ちょっと篤姫寄りなのも、
こういう背景があったからなのだと、納得。


篤姫としては云々、和宮としては云々、
と考えることができるのは、
両者の歴史の中の地位、存在が確立して初めてできることなのだよな、と思った。


今読んでいる『歴史とは何か (岩波新書)』という本に、
(高校時代に、敬愛する世界史のO先生が紹介していた本です。むふふ)

歴史とは、歴史家の選択の結果である

という言葉があった。
ある事件や人物の存在を、歴史家が取り上げて、初めてそれらは歴史的事実となる。
歴史家に選ばれなかったものは、
事実として確かに存在していたとしても、やがて時の向こうに消えていくのだと。


そう考えると、
宮尾さんは、篤姫を歴史の上に載せる役割を果たしたのかもしれない。
篤姫その人を、間接的に知る人がまだ生きているうちに、篤姫にスポットを当て、
小説を書き、
そしてそれがやがて、大河ドラマに取り上げられて、
日本人の中に篤姫の存在は確立して。


もしも宮尾さんがぎりぎりの資料をかき集めず、筆を執らなかったら、
篤姫に関するものは、徐々に消えていき、
かろうじてその名前だけが、何かの片隅にちらりとかいま見えるくらいに
なっていたんじゃないかとも思うのです。


そう考えると、
歴史って、色々な意味で奥深いねぇ・・・( ̄-  ̄ )