篤姫会

メカ女仲間のみいと篤姫会を行いました。
篤姫会――篤姫のDVDをひたすら鑑賞する会のことです。


実は、1ヶ月前に第1回を開催していたのですが、
その時は、第25話まで観たところで、時間的制約により終了。
そこで、その続きを今回、行うことになった次第であります。


てなわけで、4日の昼11時に続きの第26話から鑑賞開始。
(正確には、みいのリクエストにより、第25話の『御台はどこじゃー!』から開始)
そこから20時まで、ひたすら観る、観る。


20時になったところで、夕飯&お酒の買出しに川崎へ。
23時に帰宅して、シャワー浴びて、再び鑑賞再開。
第35話「疑惑の懐剣」の途中で、私は夢うつつに。
朝、目を覚まして、眠りこけてしまったところをもう一度見直してから、
第36話の鑑賞開始。


外は雨。
絶好の鑑賞日和です。
白ワインを開けて、ちびちび飲みながら、
ひたすら、ひたすら観続けました。


そうして。
太陽が東から南へ、南から西へ、
地平から地球の裏側へと移っていった22時。
ついに、最終話(第50話)「一本の道」を見終わりました。


篤姫の壮大な人生の物語を、一気に見尽くし、
感無量です。


人生は、やっぱり山だねぇ。
最終回近くに、回想シーンが出てくるたびに
「あぁ、山の頂上を目指して、みんな、ひた走っていたよなぁ・・・」
と、鼻の奥がつーんと(;_;)


でも、改めて見直してみると、
放映中に観ていた時とは、感じ方の変わるところもあって。


私、放映中は幾島が、正直、嫌いでした。
なんであんなに頑固なのかと。
もうちょっと柔軟な考え方をしろよ、と。
でも、今回、見返してみて、
あぁ、幾島にとって、斉彬の命というのは「希望」だったのだなぁ、と
気づいた。
仕えていた姫様が亡くなって、生きる張りを無くしていたところに
斉彬が「希望」をくれたのだなぁ、と。
家定を亡くした篤姫にとって、家茂が希望となったように、
幾島にとって、斉彬の命が希望となったのだなぁ、と。


そう考えると、家茂が将軍になって、
篤姫が元気を取り戻していく様を見ている幾島の感情の複雑さっていうのは、
いかばかりだろうなぁ、と思ったり。


なんというか。
噛めば噛むほど味の出るドラマです。


あと、一気に見るからこそ、気づくところとか。
とある回の、とある回想シーンで、
碁石の色が違う!」
と、みいと二人そろって叫びました。
回想シーンと見せかけて、回想シーンじゃないっ。
「・・・きっと、あれと同じようなことを、篤姫と家定様は
何度もやっていたんだよ」
フォローなのか何なのかわからない言葉を言い合って、
とりあえず納得することにしました。


そんなわけで、実に濃ゆ〜い、2日間でした。