- 作者: いしいしんじ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2003/04
- メディア: 単行本
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同じ作者が書いた『麦ふみクーツェ』を以前読んだときも思ったけど、
この作者の書く物語は、輪郭がない。
輪郭がないことを受け容れて読んで、初めて染みとおる。
『麦ふみクーツェ』を読んだときは、
最初、こういう話を読むのに慣れてなくて、
「この作者は一体、何を言いたいんだ?」
ってイライラした。
でも、最後まで読んだとき、何となくわかった。
どこかにクライマックスがあって、そこに向かって繋がっていくとか
そういうのではなく、話全体で、ひとつの世界が作り上げられていて、
もしも作者に伝えたいことがあるとするなら、
その世界に漂う空気、空気の中に漂う粒子のようなものなんじゃないかって。
『プラネタリウムのふたご』は、
星明りのない村のプラネタリウムで拾われた双子と
その周りの人々の話。
星の見えない村、そこのプラネタリウムで毎日語られる星の物語、
熊狩りの儀式、村はずれに住む老婆。
世界を転々とする手品師の一団、つむがれる一夜々々の奇跡。
作中に、双子の片割れテンペルの手品について評する記者の言葉として
こんな言葉があった。
「まったく意味のない筋立てである。しかし…(略)…意味をもとめようという気が
わたしにはおきない。意味以前の、おおきなかたまりとのつながりを、
からだの底に感じてしまうのだ」
物語のひとつひとつに意味はない。
だけど、読み終えたときに、
「おおきなかたまりとのつながりを、からだの底に感じ」られる、
そんなお話です。